HOMEへ戻る
         
    
1 京都天橋立大会
2 伊勢神宮研修会
3 アビハイル師セミナー
4 2010年総会研究発表
5
新会長就任あいさつ
6 いかにして始まり、続いてきたのか
7
2008年一つ物祭り大会報告
8 機関誌(創刊号)
9
機関誌(大会10年の歩み)
10 日本のイスラエル
11 会則役員
12 会員募集(お申込)
13 掲示板(声)
14 研修センターはどんなところにあるの?
15 研習(研いで習う)会内容
16 雲の柱
17 同祖論関連の本
18 TAPE/CD/MP3リスト表と申込書
19 イスラエルと日本の類似
20 伝道切り口一考
21 音声メッセージ
22 English Version
23 リンク
第10回大会の記念写真
   
           『聖書と日本フォーラム』大会10年の歩み     
大会 : 第1回 日本の秘儀 第2回 10部族渡来説 第3回 アブラハム伝承か
ラビ・トケイヤー講演会 第4回 本田弘慈師講演 第5回 守屋山登頂
第6回 東京にて 第7回 日本のイエス様 第8回 ネストリウス論
第9回 琴の賛美演奏 第10回 贖いの賜物
2001年から総会も開催 天孫人種6000年史の研究について
    

 


          『聖書と日本フォーラム』大会10年の歩み
                         
                                    2004年1月 No.26                                     

『聖書と日本フォーラム』の大会は、2003年で10回を数えるほどとなりました。
それぞれの会場、講師の先生などが懐かしく思い出されます。
そこで各大会の模様を回顧し、さらに新しい時代のあり方を模索したいと思います。



第1回大会 浜名福音荘
『日本の秘義』の著者 淵江淳一師の講演でスタート


 1995年3月19日〜21日、イスラエルと日本の回復を祈って、奥浜名湖の浜名福音荘で第1回「声石交友聖会」が開かれました。
参加者は40人。初めての聖会とあって和気あいあい、互いの信仰を語り合いました。

 講演@ 日本基督教団祖師谷教会 牧師淵江淳一師。

 「日本文化を敵対視して、社会改革、天皇制打倒を叫んでみても福音は広がるものではない。神道とユダヤ教のかかわりを注目しないと説明できない多くの神秘が日本文化には潜んでいる」と、著書『日本の秘義』をテキストに語られました。

 早天礼拝は日本ホーリネス教団伊東教会の渡辺興吉牧師。

 「27年間にわたる牧会で、救われる人が少ないことに失望し、改めて日本人とは何なのかを考えさせられた。」

 講演A 「神の摂理にある日本史」 会長 小石豊師。

 日本の歴史は神の摂理のもとに目的と方向性があり、10部族の渡来で弥生文化が始まった可能性があること。

 講演B 副会長畠田秀生師。
「聖書の日本人」、前方後円墳や邪馬台国の卑弥呼など、歴史的神秘性の問題や、ヘブル語と日本語の類似性に言及。

 証し会で、堺鳳教会の小林隆利牧師が、母しのぶは明治天皇の娘で、天皇はユダヤ系のフルベッキ宣教師から直接歴史を学び、聖書の理解が深く、皇室の中にはキリストの精神が溢れていると証言。

 講演C 仙台栄光教会 横山隆牧師。
「ユダヤ人伝道ではなく、メシアニックジュウからみことばを学ぶ姿勢が求められている」とメッセージ。

 早天礼拝は風間哲也師。
「ユダヤ人と日本人の霊的橋渡しになりたい」。

 講演D 日本基督教団金町教会員で貿易商の辻井圭三氏が「激動の昭和史」から、戦前戦後の体験を交えながら、不思議な神の守りによって、今日の日本の繁栄があることを聖霊に燃える思いで語ってくださいました。

               戻る


第2回大会 京都嵯峨野
10部族渡来説を久保有政師が展開


 「救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなた方は知らないで礼拝しています」「ヨハネ4:22」

 1996年3月19〜21日。春の京都コミニュティ嵯峨野に93人参加して開催されました。

 開会礼拝は辻井氏。
戦後日本が駆け抜けてきた中で、ユダヤ人と日本人の不思議なかかわりの体験談でした。

 主題講師久保有政師(レムナント誌主幹)は、著書『古代日本にイスラエル人がやってきた』をテキストに、10部族渡来説、養蚕をもたらした秦氏など、豊富な事例を挙げながら語られました。

 アッセンブリー教団橿原教会牧師 小泉智行師は、「大和は国のまほろば」と題して、「同胞に福音を語るには、古代史から見つめなければならない」と藤原宮遺跡に立つ教会に相応しい、やまと論を展開。

 横山師は、「世界大に拡散したヤコブの子供たち」黙示録の7つの封印から未来の展開を語られました。

 小石師は「12完成の時」で、枯れた骨回復預言から民族の回復を語り、畠田師は、日本の習慣をトーラーと比較しながら、その一致点を挙げてくださいました。

 20日午後は研修観光で、いさらいの井戸、広隆寺、大酒神社、蚕の社、三本柱の鳥居や景教の面影を偲ばせる洗礼場の池などを巡りました。

 大会会場の大内健兄作成の標語ポスターが印象的でしたが、その後大内兄は主のもとに帰られました。

               戻る


第3回大会 鳥羽池の浦荘
諏訪大社神事はアブラハム伝承か


 日本神道の故郷伊勢に行って日本宣教を考えようと、第3回大会は1997年3月20日〜22日、鳥羽に約80人参加で開催されました。

 講師橿原教会牧師 小泉師が初めて長野諏訪大社の神事を紹介。
守矢山(モリヤ)の動物犠牲など、アブラハムがイサクを捧げた伝承を引き継いでいることを知らされて一同ビックリ。
この発表は非常に画期的な内容で、その後フォーラム活動に大きな影響を与えました。

 聖書研究会主事の村岡大輔師は、「日本神事と聖書」と題して「カミという言葉・万物はカミの依代(よりしろ)・言霊・ヘブライ語のエロヒム・両者の類似性」などなど、哲学的造詣の深い講演をしてくださいました。

 常任講師の久保有政師は、「日本神道と聖書」から、神道の背景に顕れた旧約聖書の真理や、いろは歌などから語られ、お証しでは、「幕屋」の大内勲兄が、ユダヤ人救済に活躍された杉原千畝氏の働きとイスラエルのビデオを見せてくださいました。

 ホーリネス聖霊運動の歴史の中を歩いてこられた米沢の大川原栄一兄がぼくとつと、かつてのホーリネス分裂とその後の体験を語られ、その信仰に感動された長岡在住の蕪木晃兄が、老先輩と抱き合って涙の祈りをされ、参加者一同聖霊の臨在を覚えてしばし祈りの恵みに預かりました。

 最後の日は土曜日で、仙台の横山氏が安息日礼拝を守ってくださいました。

 観光は伊勢神宮。20年毎に遷宮される幕屋を守った古代のご先祖様の心は何だったのか、と感慨に耽りました。特に大阪地区の畠田師、笠木重勝兄、北村俊光兄の采配は見事でした。

                       戻る


ラビ・トケイヤー講演会 銀座ヤマハホール

 1997年7月21日、「聖書と日本フォーラム」主催講演会が350人を迎えて開催されました。

 第一は「日本の教育とユダヤの教育」、第二は「日本とユダヤ謎の古代史」でした。
トケイヤーは「世界の中で日本人とユダヤ人だけが同じ先祖を持つ兄弟です」と明言され、その理由を次々と列挙されました。
最後には皇室関係者がイスラエルの血が皇室には流れていることを語られたことを証言されました。

               戻る   


第4回大会 大阪コスモスクエヤー国際交流センター
本田弘慈師が講演


 1998年7月19〜21日。参加者は約90人。

 講師は、日本福音クルセード主幹 本田弘慈師で、「神の恩寵による日本人の先祖とユダヤ民族の関係」と題してイザヤ45・6を引用しながら、中田重治の本を読んで興味をもたれたこと、三種の神器、拝殿と本殿、民謡のヘブル訳、伊勢の紋章とダビデの紋章、帯を締めることなどの類似性の問題。
しかし恵みによる救いが基調であることを語ってくださいました。

『ユダヤと日本・謎の古代史』など数十冊の著書で知られるラビ・トケイヤーは、神は全く正反対の民族を選ばれたこと、それぞれの民族の成り立ち、教育ママの問題、ユダヤ教と日本教の相違点と類似点を一つ一つ挙げて興味深く語られました。

 村岡師は、「イスラエルの多神教が日本へやってきた」と、イスラエルの歴史を回顧しながら、主の道を離れ、悪を行った人々の子孫が日本に来て、古神道になった形跡があると論破。
 
 また、横山師「日本民族のトーラー再発見」。久保師「日本人が信ずべき神」。小石会長「古代ユダヤの大預言」の講演がありました。

               戻る     


第5回大会 諏訪湖プリンスホテル
守屋山登頂を目指して

 「主の山に備えあり。モリヤの山に登ろう」
1999年5月19〜21日、諏訪湖のほとり、プリンスホテル輝山荘に69人参加。
 
 早天礼拝で横山師は「あなたは自分のために標柱を立て、道標を置き、あなたの歩んだ道の大路に心を留めよ」(エレミヤ31・21)から、御頭祭の
4本柱の意義を語られました。 

 講演@ 久保師「10部族はシルクロードを通って日本へやってきた」 京都の秦一族がユダヤ系景教徒で、三柱鳥居のある池は洗礼場であり、太秦は中国では景教の呼び名だったこと。

 講演A 村岡師「淡路島におけるユダヤ遺跡」C「ユダヤ思想と日本思想の比較」

 講演B 小泉師「古事記、日本書紀以前日本に来ていた古代人の足跡」B「諏訪神社の御頭祭:モリヤ山のイサク奉献を伝えた人々」で、諏訪神社の主祭神ミシャクチ神を祀る守屋山、神事官の家が守矢家。
御頭祭神事の犠牲が創世記のアブラハム伝承そのもので、動物犠牲が行われてきたことを発表されました。

 講演E 畠田師「枯れた骨に預言せよ」
「そうだ。私はモリヤの山に登らねばならない」参加者のほとんどが1600メートルの山頂を目指して上りはじめましたが、70代の方々には厳しいようで、体調を壊しておられたK氏何度も立ち止まって休まれました。
それでも諦めず、アブラハムを思いながら全員登頂し、ハレルヤと天に向かって賛美を繰り返しました。

 また、聖会の中でイエス様を信じると告白された方が与えられ、思いで深い大会となりました。

               戻る 


第6回大会 ルーテル市谷センター講演会 東京にて

 2000年2月11日。全国キリスト教伝道会会長・景教研究者ケニー・ジョセフ師を特別講師に開催。約100人が出席。

 講演は小石会長が「古代ユダヤの大預言」。畠田副会長が「古代ユダヤから21世紀の日本へ」。

 ジョセフ師は「日本の隠されたキリスト教史」をテキスト『日本の地蔵対ジーザス』を用いながら語られました。

 この大会に対するリバイバル新聞の論評は、今日のキリスト教会がフォーラムに対してどのように対応し、批判しているのかを率直に表していますので、私たちは反対しないで、素直に受けるべきところは受けなければならないと思います。
そこでここに記載することとしました。

 「小石師は、『失われたイスラエル10部族の回復』の著者として日ユ同祖論を展開、その主張に対してはキリスト教会内にも賛否両論ある。
同師は当日のセミナーにおいてその主張を、聖書預言を研究する中から生まれたと強調した。
 まず、聖書の預言から日本が失われた10部族であるというのは、あくまでも仮説。その仮説を実証しようと研究を重ねることには何の問題もないが、研究結果が一般的信仰に移行していくためには、他者の批判的検証を受ける必要があるだろう。

 その検証がないまま賛成派だけの研究を積み重ねたとしたら、結果的に聖書からそれてしまう危険性がある。

 もっとも本誌としては、小石師がゼカリヤ書10章6節を引用して『10部族を発見するのはユダ族(ユダヤ人)である』といっておられたことを使わせていただき、それはユダヤ人に任せて、日本人は深入りしないほうが良いと思っている。
 次に、天皇制と神道という、いわゆる日本の国体を、渡来したユダヤ人が作り上げたということだが、それが『天皇制賛美』とならないように注意すべきだ。戦中、韓国を始めとするアジア各国で天皇礼拝を強要し、それに反対するキリスト教を迫害した背後に、悪魔の力があったのは明確である。
その力が、天皇の人間宣言によって雲散雲散したとは思えない。
 
 同フォーラムが、日本人を理解しようと努め、神官などに聖書を語っておられることは敬意を表したい。しかし、日本人の宗教行為を貴ぶことによって偶像礼拝を肯定してしまう危険性はないか。

 偶像礼拝に陥った北イスラエルに対して、アモスが神の裁きを宣言したように、厳しい神の言葉の宣言も必要である。
『あなた方は悪霊を拝んでいる』と、出会った最初からいうのは知恵のない行為だが、悔い改めと十字架の福音を宣言することを忘れてはならない」

               戻る 


第7回大会 諏訪湖 ROKO華乃井ホテル
「日本のイエス様」を見つめた


 2000年10月9〜11日、約75人参加のもとで開かれました。
 テーマは「アブラハムの信仰」で、特に諏訪大社の禰宜原弘昌氏から、「諏訪大社の歴史と酉の祭り・御頭祭について」の解説がありました。

 講演@ 村岡師「日本思想の原点としてのヘブライズム」「古代日本・古代ユダヤ」では、形に見えないところがヘブライのそれと酷似していること。
ヘブライのダバールと言霊について、思想を音声として押し出していくことを語られました。

 講演A 大阪主イエス・キリスト教会牧師大久保みどり師は「日本のイエス様」と題して、「日本人がもしイスラエルの末裔だとしたら、デメリットとしては、偶像を造りたがる恥ずかしい遺伝子を持っていること。
メリットとしては、アブラハムの契約がこの民の行くところ必ず付いてくること。
また異邦人だとしたら、神様はその人の実を収穫されるお方だから、主イエスを信じるものはユダヤ人異邦人に関係なく必ず罪許されて救われるのです。」

 日本文化の素晴らしさ、その心の琴線にピンと触れる福音のあり方を求めましょう」といって、熨斗袋、茶道、俳句、華道、着物、陶器などを例に挙げ、日本人らしく福音を語ることを訴えました。

 講演B 久保師、ケン・ジョセフ師
 「日本のルーツとキリスト教」

 講演C 小泉師
 「原初の大和地方の支配者は古代ユダヤ民族か」

 講演D セブンスディ西日本教区長 小島英伯師
 「古代文化に見る聖書の教え」では、日本古来のでんでん太鼓とそっくりなイスラエルの玩具を手に入れた話に一同和みました。

 証し会でニュージーランドのエリック・バンディー師が、日本の文化を尊ぶ伝道に感銘を受けたと語られました。

 観光は上社・前宮十間廊・下社・守矢資料館見学グループと、守屋山山頂での祈り会グループの二手に分かれて行われました。

 また、岡谷市民新聞が、「日本文化の原点を聖書から学ぶ」と題して、ニュースを載せてくださいました。

               戻る   


第8回大会 奈良飛鳥
手束正昭師「ネストリウス論」を展開


 「過去を忘れず、現在に生き、未来を展望せよ」
2001年10月7日〜9日。古墳の里「飛鳥」はまさにまほろばの地。緑の山間に囲まれ、古代人の声が聞こえて来るようでした。

 参加者も120人を超え、観光は猿石、欽明天皇御陵、高松塚古墳、亀石、橘寺、石舞台古墳、酒船石、亀形石像物、飛鳥資料館などをバス4台で巡回し、資料館の広場芝生で昼食を楽しみ、記念撮影をいたしました。

 開会礼拝で小石会長が「古代キリスト教や景教の渡来で仏教や神道に影響を与え、ザビエルによる伝道への反発で鎖国と迫害、檀家制度となり、今日の宣教に多大な悪影響を与えた」と語りました。

 久保師は、まほろばはヘブライ語の「マフラ・優れた良い」で、奈良時代以前の神道は一神教だったこと。
仏教の悔過はキリスト教の悔い改め思想が影響していること。
越天楽は景教の賛美歌だったことを語られました。

 小泉師「国のまほろば・ありし日のヤマトを訪ねて」では、「ヤマトタケルの国しぬび」の歌から日本書紀や古事記の飛鳥の地理的・時代的意義、トカラ人(ペルシャ人)の渡来、藤原氏の名前などから古代人のルーツを探りました。

 手束正昭師は、「ネストリウス派は果たして異端か」と題して、神学的立場から見てもこれは正統的神学であることを論迫されました。
エペソ会議でネストリウスは、キリストの神性と人性は明確に区別されるべきで、両者の一致は意思によること。
ヨハネ伝の「初めに聖霊があった」とすれば、すんなりと創世記とつながることなどを語られました。

 大久保師が「諸国の民の栄光」から、「天に携えていくその民族の栄光は何か」と日本人の特性とリバイバルを語られました。

 美しい和服を召して来られ、蚕の繭が生み出す繊細な布の美に、神様は日本人が日本人であることをもっと完成させようとされていること。
日本の君は誰なのか、姿を隠しているではないかと心の奥に迫る聖霊のみ声を掛けてくださいました。

 今回の大会は司会者を畠田師に絞り、すばらしい流れになったと思います。
また、小石崎子師が、奏楽の豊樹子姉と組んで、イスラエルの賛美を中心にソングリードを、第1回大会から続けてくださっていることは、本当に幸いと思います。

               戻る     


第9回大会 京都嵯峨野
高砂教会婦人会が琴の賛美演奏!


 2002年9月15〜17日、京都大会が嵯峨野で開催されました。参加者は今までで最高の170人でした。

 ある方が「血が騒ぐという表現が相応しい」といわれましたが、まさに聖霊が一人一人に、十字架と復活の福音宣教の情熱を注いでおられることを実感しました。
高砂教会婦人会が和服姿で琴の賛美演奏を披露され、日本美そのものを堪能させて頂きました。

 大型バス4台に分乗して、広隆寺、蚕の社、下鴨神社を巡回。
特に下鴨神社では、ユダヤ神殿の痕跡?や、エフライムの象徴である一角獣ユニコーンの像を見学しました。

 今回特別講師は、京都バプテスト連盟洛西教会牧師 杉野栄師で、「都に見る渡来文化と信仰の証し」と題して、古都京都のあちこちに残された渡来人の足跡を紹介されました。
特に十字架が映し出される「魔鏡」に、当時のキリシタンの信仰の根強さを見せられました。

講演は久保師「日本人の先祖は聖書の神を拝んでいた」。大久保師「ことばと文化」。
畠田師「日本の将来」。 

 参加者から、「初めて参加して、多くの方々が日本を愛し、日本の救いのために思いを尽くして祈り、行動しておられるのを見て感動した。
低迷を続けている日本宣教の壁を打ち破ろうとする熱意を強く感じる集会で、京都という特有の地であったが、日本仏教とその源泉、古代インドの歴史的、文化的背景、日本仏教の本質論、神学を文献的に批判する必要もあったのではないか」とアンケートがありました。

 なお、トレヴァー・ヤクスレー師夫妻(ニュージーランドから参加)が、閉会礼拝で日本人による日本人の伝道が大切と強調、励ましがされました。(畠田秀生師通訳)
 残念ながら小石会長は心臓手術で欠席されました。

               戻る  


第10回記念大会 川口リリア催し広場
その国の文化は神の「贖いの賜物」


第10回記念東京大会が2003年9月14〜16日、川口総合文化センターに70人を迎えて行われました。
毎回のことですが、今回も遠く北海道や沖縄からも出席されました。

 聖句「日の昇る方では、主の栄光が恐れられている。
主は激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっている」イザヤ59・19

 講演@ 日本基督教団東京信愛教会牧師 鈴木武仁師は、10部族渡来説を、「中国大陸のアーリア系騎馬民族スキタイ族と同盟を結び、紀元前2世紀から5世紀に朝鮮半島の夫余族を建設し、やがて北九州に上陸し、倭を征服。
ダン族と奏始皇帝との関係でその末裔融通王の渡来」など景教、仏教伝来から現代に至る歴史に網羅されました。

 そして、賀川豊彦の『十字架の瞑想』から「われわれが救われた瞬間から、他人を救うために仕えるべきである」と、愛の共同体としての教会の回復を語られました。

 講演A マルコーシュ出版の笹井大庸氏の「贖いとしての天皇制」で、使徒17・27「もし探り求めることでもあるなら、神を見出すこともあるのです」から、人々と時代と国境を神が定めたのなら、神が造られた国の文化の中に「贖いの賜物」があり、それは本質的に良いものである。

ところがキリスト教会では、日本文化をすべて偶像礼拝で悪いものと捉えてきた。
武士道も天皇制もその国の文化であり福音に敵対するものではない」と訴えられました。

 講演B 常任講師久保師は「聖徳太子は仏教の神様のように奉られているが、太子は古代からあった一神教(宗源道を学んだこと。神道の造化三神は三位一体で、アメノミナカヌシが父、タカミムスヒが子、カムムスヒが聖霊に当たる。

伊勢神宮の八咫鏡のヘブル文字はアシェル・エヘイエで、有りて有るもの。
地下殿に十字架(T字型)があり、ハタザオ、ハタモノ(羽田竿、秦物)と呼ばれている。
皇室の系図はエフライムの系図と瓜二つ。
キルギス人はマナス叙事詩によると、自分たちはマナセの子孫で、兄弟は日本に行ったといっている」など、多くの事例を上げられました。

 講演C 小石会長は「聖書預言に見る日本」を、10項目に分けて語られました。

 1 異邦人が祝福される
 2 国体・天皇制と神道
 3 ヨセフの祝福
 4 東の島々で栄光輝く
 5 一人の者を東から興す
 6 墓を開き墓から引き上げ
 7 ヨセフの家の救出作戦
 8 出エジプトに勝る事件
 9 戦きながら泣きながら
10 二つの民族の新契約

               戻る


2001年から総会も開催

 なお、大会の中で行われてきた年度総会は、会則が整って以来、大会とは別に開催し、講師を立てて学びも深めましょうと、2001年から開催するようになりました。

 2001年総会は4月30日、豊橋キリスト教会において、前年度活動会計報告と次年度活動方針がありました。
研修会では小石会長が「聖書までと聖書から」を講演され、「日ユ同祖論を考える」パネルディスカッションがありました。参加者は30人でした。

 2002年度総会は、東京北区「ほくとぴあ」で、40人参加で4月29日に行われました。
総会の後、久保師が「聖徳太子は景教徒か?」笹井氏あ「天皇制のハザマにて」を講演されました。

 2003年度は総会は、富士の裾野の「富士箱根ランド」に35人出席して開かれました。

 講演@ 富士宮教会萩原清師
 「霊峰富士とキリスト教」と題して、数々の新興宗教がひしめく地域における宣教の困難さを証されました。

 講演A 名古屋北福音キリスト教会 川口一彦師「景教神学の特徴」を、中国西安の碑林に立つ「太秦景教流行中国碑」の写しを見せながら熱を込めて語られました。

 講演B 相模大野教会 皆川尚一師「秦氏とキリシタンにおける日本宣教の戦略」を語られました。

「応神天皇の時代に約2万人で渡来した秦一族の戦略は、『惟神(かんながら)の道』に深く浸透することでした。
続いてキリシタンの戦略は神道や仏教の教えを悪魔の教えとして対決することだったため、あのような迫害を受けたのです。

 日本人の宗教心はあいまいな和の精神で、なんでも受け入れるように見えますが、遠い先祖から継承されてきた『かんながら』の基盤があって、対決姿勢のキリスト教では、社会に浸透することができません。
やはり『浸透型』でなければならないと思います」

 講演C 小石会長「聖書預言に見る日本」を語られました。

               戻る


天孫人種6000年史の研究について
国際基督教大学名誉教授 聖書と日本フォーラム会員
一瀬智司


はしがき
 最近私は、機会があってかねて珍しい日本古代の文献があるという瀬戸内海、大三島の大山祇神社をお訪ねして(天孫人種6000年史の研究)三島敦雄著を入手し、日本の皇室がバビロニア(シュメール:スメル王国)に関係があるとの説昭和2年(1927)に発表され、バビロン学会、スメル学会もあったと書かれているので、小石豊先生や畠田秀生先生らにも御相談し、関係の方々に御紹介することにした。
ただ著書が540頁余にもおよぶ大著で皇室に直接関わる伊勢神宮を始め、日本の各地にある著書の立場から見た神社(祭神)の由来と有史以前からの内外の伝承、記録を元に書かれたものであるので、著者としては今後のこの種の研究とアジアと世界の中の日本という立場からの日本人のあり方の参考のために御紹介とコメントを行なっておきたい。

1.日本皇室の淵源

 非常に大胆に三島宮司は、天皇のことをスメラギ、スメラミコト等というのは、古代バビロニアのスメル(Sumer)から来ているとされ、シュメール国、スメル王国の系統を1927年(昭和2年)の段階で主張されているのである。

 勿論当時学会で承認されたわけでもなく、バビロン学会、スメル学会があったといってもごく少数意見であったと想像されるが、御承知のように旧約聖書にバビロン捕囚という事があり、エルサレムが陥落してユダ王国の生き残ったものをバビロンに連れ去った。
そしてペルシャのキュロス王が捕囚の民を解放するまで70年間の期間があったので、その意味では、バビロニアとイスラエル、ユダヤも大いに関係があるといえるだろう。

 以下スメルに関わる祭神、言語、神と王の関係、理想信仰、風俗、骨格容貌、美術工芸等の関係から、従来建国人種の本源として知られた朝鮮種族、ツングース系は勿論南方系のモン、クメール系の倭人派やマラヨ、ポリネシア系の隼人派、前出雲派とも異なり、古代バビロニアのスメル人、および古代以降バビロニアのセミチック、バビロニア人の研究から、三島宮司は高天原バビロニア説を主張展開されているのである。

2.海のシルクロード

 三島宮司が根拠とされたところは、天皇の明津神は。スメル語の火神アグ(Ak)ツ神の義で日神(Ut)の御子たる火神アグツの権化として、この国に天降り給うたとされ、ミコト(尊、命)ミカド(天皇、帝)は、セミチック、バビロニアのミグト(Migut)天降る者の義で、神という言葉とされるのである。

 其の田バビロニアの日像鏡、月像の頸飾または、玉製の頸飾、武神の表像たる剣は、わが国の三種の神器に相当するとし、バビロニア、アッシリアの菊花紋は、旭の美術化で、わが皇室の菊花紋章に共通するとしている。
ただ菊花紋章については、<ユダヤ人と日本人>の著者シロニ氏もエルサレムの城門に関連して菊の紋章を指摘している。

 三島宮司の所論で最も特徴的なところは、スメルの天孫人種が日神とともに海神を並祀し、シューチ(南風)の神たる塩土神(住吉筒之男神)に最も関係深くバビロニアの古跡から印度の鉄木、支那(中国)のコバルトが発見されるによりて、その交通が証しされる。
と述べ、天孫人種の海路移住、筑紫洲の南九州、薩摩国内山田、王都高千穂宮の跡たる大隈国内や山田を指摘されている事にある。

 勿論この説は考古学者によって当時否定されているが、問題は古墳のような西暦紀元後の事蹟でなく、また天孫人種が単なる有史以前の神話、伝承としてでなく、実証的な人類移動の人類学的見地に立って陸のシルクロード、縄文人等の大陸移動とともに海のシルクロード、日本(秋津洲)の先住民、渡来人移動も視野に考えられるべき要素のように思われる。

3.歴史と先史神話

 言うまでもなく、三島宮司は、歴史学者、古代史学者ではないので、その方面から認知されにくいのは言うまでもないが、言語学上の発音、意味、宗教上の祭神、神社形態(ただし、この点はユダヤ教の方が近いかもしれない。)等々を日本の神社に則して調べられておられる事は、神社宮司のお立場から、むしろ他の分野の方より有利な立場にあり、その意味ではユニークなアジア的、世界的視点からの神社神道の研究といえるのではなかろうか。

 ただそこから直ちに皇室神道を含めて決論を出そうとすると、科学的史実に忠実ならんとする歴史学の立場からは、賛同されにくいと言う事になるであろう。

 いわんや日本国家の起源に関して、第2次大戦後江上波夫先生、井上光貞先生らを始めとする西暦紀元後の古墳時代、大陸北方系騎馬民族文化説が有力のように思われ、また神話伝承についても広義の民俗学、歴史学の立場から、アマツカミ、クニツカミのうち後者は出雲、前者は南朝鮮で、天孫降臨の筑紫も北九州と解されているのである。

 このように見てくると、海のシルクロード説は、現時点では非常に不利のように思われるが、筆者のように歴史学会の人間でもなく、宗教にも素人ではあるが、社会科学者として日本アジア、世界の都市化の歴史比較、宗教比較の見地の見地からは、そのアプローチ、方法論の面でより学際的、包括的アプローチの重要性を痛感するので、その点について次にふれておこう。

4.包括的アプローチの重要性

 まず科学技術的方法として(人類学、考古学、言語学、歴史学、民俗学、建築学、DNAその他理工学系)、次に宗教比較として9聖書考古学、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、佛教、拝火教、神道、神話伝説、祭礼、習俗その他)を比較包括的、つまり個別ミクロ専門的に掘り下げるとともに、マクロ的に総合基本化した見方の重要性を指摘しておきたい。
この事は日本人および日本国家、神社神道のルーツのみならず、アジア、西欧、世界人類との異文化理解、共存のためにも必要と思われる。

5.参考文献および典拠について

 最後に、本書は唯一惜しむらくは海外と国内文献についてまとめられておらず、三島宮司のお立場から見て止むお得ないものと思うが、内容的には本文の中に外国人の文献引用、また国内についても古事記、日本書紀等はいうまでもなく、祭神名、神祇史、風土記、地誌、本居宣長の古事記伝その他があげられている他、神社についても皇室および諸氏所祭神の説明を行っている点、1つの貴重な文献として参考になるべきものと思われる。
(経済学博士、専門は行政学、経営学<都市経営論>)

               戻る