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4 2010年総会研究発表
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6 いかにして始まり、続いてきたのか
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2008年一つ物祭り大会報告
8 機関誌(創刊号)
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機関誌(大会10年の歩み)
10 日本のイスラエル
11 会則役員
12 会員募集(お申込)
13 掲示板(声)
14 研修センターはどんなところにあるの?
15 研習(研いで習う)会内容
16 雲の柱
17 同祖論関連の本
18 TAPE/CD/MP3リスト表と申込書
19 イスラエルと日本の類似
20 伝道切り口一考
21 音声メッセージ
22 English Version
23 リンク




           2010年 3月20日(土)〜22日(月)

              聖書と日本フォーラム第10回研習会

             神道の初めと日本精神文化


        神道の初めは一神教     「武士道・葉隠から」





神道の初めは一神教

3月20日(土)夕刻、電車、車で三々五々集まり6時に夕食を共にしました。7時より伊勢志摩の研修センターにて第10回研習会が始まった。20名の男女がまず講師の話に耳を傾け、そしてその後の時間が意見交換と質疑応答に費やされた。

20日土曜日の午後7時、久保有政牧師は、今年第16回大会京都天橋立大会の籠(この)神社海部宮司のことばからの引用、神道の初めは唯一神であり、徐々に衰退し多神教になっていった、と話し始めた。

伊勢神宮の元伊勢であり、外宮の豊受大神のウカは食べ物のことで、ヘブル語でウケ。天御中主神(アメノミナカヌシ)とウケノミタマなど名前は違っても同じ神。大元霊神=大元神は「元初と神と大和朝廷の始原元」に一神教だったと書いてある。造化三神である日本人の神概念とユダヤ人の神概念が同じであったとまとめる。

21日(日)の午前10時半よりの登茂山家の教会での集会が、出席者の自由な体験談で始まる。後半、畠田牧師の教会の本当の姿は、それぞれの賜物が教会外の世にあって発揮され、信じ癒された人々がキリストのからだを建て上げるために集い、イエスのからだと血に預かる聖餐のパンとブドウ酒をいただいた、と語った。

午後2時、久保牧師の神道パート2。伊勢の磯部にある伊雑宮で江戸時代に発見された「先代旧事本紀大成経」は、聖徳太子の本当の姿が書かれてある。神はおひとりであり、宗源道と呼ばれていた。ひとり神で根源なるお方。太子は中臣御食子(みけこ)から唯一神を学んだ。一霊=大神=宗源道。

アマテラスがお隠れになったとき祝詞をあげたアメノコヤネノミコトは宗源道を信じていた。しかし徐々に多神教に衰退していった。仏教勃興により、神道がすり替えられていった。

聖徳太子の十七条憲法は、日本書紀では「あつく三宝を敬え」は仏、法、僧であるが、先代旧事大成経では、「儒、仏、神」とある。儒は中国、仏はインド、神は日本。日本人の謙遜さで、神をいちばん後にもってきたのは、慎み。今の神道は形が変わってしまった。

秦氏が住んだ太秦の蚕ノ社には三本鳥居がある。これは、アメノミナカヌシ、タカムムスヒ、カミムスヒの造化三神で一体を表す。ヘブル語でヌシはナシ(主)のこと。タカミによく似ているタカンはヘブル語で仲介者。カミはカムムシュハのカムは始原者でムシュハはヘブル語で霊を注ぐ、油を注ぐの意。

秦氏はキリスト者であったと考えられる。古代キリスト教徒は二世紀ごろ中央アジアカザフスタン、キルギスあたりにいた。秦氏が渡来してきたころ日本には神社があったが、キリスト教をもちこみ、すでに布教していたと考えられる。

世界中で馬小屋で産まれたという偉人は、イエスと聖徳太子のふたりだけ。太子は仏教の先生ではなく、彼の息子は秦河勝に教えてもらっていた。彼は645年仏教徒によって暗殺された。一家全滅している。それによっても太子一族は、仏教徒ではなかったと考えてもおかしくはない。
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「武士道・葉隠から」日本刀

21日(日)午後7時より畠田牧師により武士道のバイブルといわれる「葉隠」について。
葉隠の4つの誓願、
1.武士道におくれをとらぬこと。
2.主君のお役に立つこと。
3.親に孝行いたすこと。
4.深い慈悲心をもって、人のためになるべきこと。

根底に流れる「武士道というは、死ぬことと見つけたり」から、一般人の死と武士の死との違い。
病死、事故死などとは違い、武士のそれは意識的に自らが選ぶ死である。死ぬべき時以外の死は、犬死。だから第一の義務は、その国(藩、領土)を守り、主君に忠節を尽くすこと。最後の最後まで生き延びること。死に急いでは、その義務を果たせないから、死に急ぎの哲学ではない。死に急ぎの哲学だという誤解は、戦後アメリカ占領軍政策のひとつの民主主義、人権至上主義による洗脳であった。武士道を目の敵(かたき)にしたアメリカの政策。

葉隠の主意は、武士たる者、悟りを開き、いつ死んでも悔いることないよう、立派に生きろ、という生について述べたものである。
換言すれば、Friendliness with death, 死を恐れないこと、賤しむべき生は武士にあるまじきこと。
(学びを進めて行く途中に、畠田 牧師は出席者の意見を頻繁に聞き、発言を求められた。)

T氏:「私は自分から死ぬ、ことなどはできない。」

人が行動を誤るとすれば、死ぬべき時に死なないことだと山本常朝は考えた。一生に一度来るか来ないかもしれない。常朝は61歳で畳の上で死んだが、そのとき彼はどう思ったことか。
武士の死は自分の意志で決める死であって、自然に死ぬ死を意味していない。
自由意思による死=斬り死と自殺(切腹)は同列に置いた。
切腹=積極的自殺は、西洋の自殺である敗北ではない。名誉を守るための自由意思の表れ。

N牧師「意見より、アーメンとしか言えません。」

思いやりは男の世界。男の社会能
力は思いやり。

二者択一をせまられたとき、絶対正しい方を選ぶということは、たいへんむずかしい。人はだれでも、死ぬよりは生きる方がよいに決まっている。となれば多かれ少なかれ、生きる方を理屈が多くつくことになるのは当然のことだ。生きるほうをえらんだとして、それがもし失敗に終ってなお生きているとすれば、腰ぬけとそしられるだけだろう。このへんが難しいところだ。

ところが、死をえらんでさえいれば、事を仕損じて死んだとしても、それは犬死、気ちがいだとそしられようと、恥にはならない。これがつまり武士道の本質なのだ。とにかく、武士道をきわめるためには、朝夕くりかえし、死を覚悟することが必要なのである。つねに死を覚悟しているとき、武士道が自分のものとなり、一生誤りなく御奉公しつくすことができようというものだ。

パウロ 第1コリント15章31節「毎日が死の連続です。」

私たちの相手は、サタンとか悪魔といわれる者、魂を滅ぼし、盗み人生をダメにする暗やみの主権者。これを踏まえた上で人間が敵ではなく人は愛の対象であるというのがキリスト教。

毎日が礼拝
 神は汚れを嫌う。死体に触れることは汚れる。血に触れることも汚れる。戦場で血をあび、死人を足蹴にするとき、武運長久を祈るため、武士は、つねづね信心している。そのとき汚れがみについているといってそっぽを向いてしまうような神であったら、仕方のないことだと思いきって、汚れのいかんにかかわらず、神を礼拝している。

そして、「毎朝、前もって死んでおくこと」という武士の心構えである葉隠の死とは一体どういうものかをもって締めくくられた。

雲間の青空のようだ。完成の頂点としてとらえ生の第一歩である英知を与えている能動的意志的に選びとる死。この武士の死は、現代に生きる私たちに何を訴えているのだろうか?

化石にいのちを吹き込むことができるのであろうか?私たちは今さら武士道を知ろうとすることなど、無駄なあがきではないか?死ぬことは生きることであるという武士道は、現代の私たち日本人の生死観に息吹を吹き込むのではないか?を問うて集った者へのチャレンジとした。

武士道が教えている本来の意味を知るとき、今の日本人クリスチャンにとって日本人とはどんな国民であるのかがわかるのではないだろうか。程度の差こそあれ、その知識と行動が武士のそれに近づくと、福音を伝える前に、どのような生活をすべきか。どんな心構えをしておるべきか、自ずとわかるような気がしてならない。・・・・・・・・・・・・・・・・22日(月)久保牧師の神道とユダヤ教、午後の畠田牧師担当の武士道とキリスト教は次号にて。
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