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1 京都天橋立大会
2 伊勢神宮研修会
3 アビハイル師セミナー
4 2010年総会研究発表
5
新会長就任あいさつ
6 いかにして始まり、続いてきたのか
7
2008年一つ物祭り大会報告
8 機関誌(創刊号)
9
機関誌(大会10年の歩み)
10 日本のイスラエル
11 会則役員
12 会員募集(お申込)
13 掲示板(声)
14 研修センターはどんなところにあるの?
15 研習(研いで習う)会内容
16 雲の柱
17 同祖論関連の本
18 TAPE/CD/MP3リスト表と申込書
19 イスラエルと日本の類似
20 伝道切り口一考
21 音声メッセージ
22 English Version
23 リンク



             



     伝道の切り口として日本文化を用いる。
   日本人には日本人のようになって伝道するという切り口です。
   
     
     No1 エンヤラヤー
     No2 イナリ
     No3 南無イエス・キリスト
     No4 アブラハムの試練が日本に伝えられている
     No5 秦氏の名前
     No6 聖徳太子
     No7 お屠蘇
     No8 お餅
     No9 日本最初のクスリ
     No10 蘇民将来
     No11 籠神社、元伊勢から

No1
            



       
エンヤラヤー                                                      
                                          
                                
       

「祇園祭の始まりは長刀鉾(なぎなたぼこ)に乗った二人の人が掛け声をかけて始まるのです。その掛け声は何だか知っていますか?」

「エンヤラヤーです。」

「そうです。それは日本語ですかね?」

「わかりませんね。」

「エヤニアレルヤーというアラム語なんですよ。」

「アラム語?」

「イエスが母国語として話しておられたことばなんですよ。」

「ほんとうですか?」

「なまってエンヤラヤーです。今、世界で一番有名で共通語のハレルヤの原語だとなると、あなたはどう思いますか?」

「びっくりですね。」

「日本の代表的な祭りの最初のことばがハレルヤだとなると、日本人はどこから来たんでしょうね。」


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No2


    イナリ・・・INRI





「日本で一番多い神社は、何神社だと思いますか?」

「さぁ?」

「稲荷神社です全国に3万2千社あり、日本の神社の中で最大の勢力を持つのが稲荷神社で、その総本社は京都の伏見稲荷。」

「八幡神社も多いでしょう?」

「そう。その数その数は1万社とも2万社とも言われ、稲荷神社に次いで全国2位です。」

「お稲荷さんと言って親しまれていますね。」

「朱色の鳥居と旗が多い神社です。」

「鳥居の色がなぜ赤いのでしょうね?」

「昔イスラエルの神殿の前に2本の柱がありましたがよく似ているだけでなく、トリイというへブル語は門という意味だそうですよ。」

「ウヘーッ!」

「驚きですね。それにイスラエル民族がエジプトの奴隷から解放されるとき、自分の家の鴨居〈門〉に羊の血を塗ったので、赤かったというのも何か意味深ですね。」

「神道のルーツがユダヤ教というのも聞いたことがありますが、本当なんでしょうか?」

「それはさておき、稲荷に話を戻しましょう。稲荷は当て字です。漢字以前からイナリはありましたから。」

「稲荷をイナリとは読めません。」

「そうです。どうやらINRIというラテン語が原語のようです。」

「どういう意味ですか?」

「Jesus Nazarenus Rex Iundaeorum の頭文字でユダヤの王ナザレのイエスの意味です。」
「はじめの文字はJですよ。」
「聖書によれば、その文字はへブル語だけでなく、ギリシャ語、ラテン語で書かれてあったとありますから、JがIになっているわけです。装飾的にもJがIに見える場合もありますから。」

「それがどう意味を持っているのでしょうか?」

「INRIを日本語ではどう読めますか?」

「インリ・・・・」

「イナリとは読めませんか?」

「とすると稲荷信仰は、イエス・キリスト信仰ということですか!」

「早とちりは禁物。日本のキリシタンはINRIというシンボルは用いませんでした。だからこれは景教徒によるものだと考えられます。」

「日本に根づいている神信仰のルーツをしっかりと見つめなければ、先祖に申し訳ない気がしてきました。」

「群馬県で"INRI"の文字や、景教の十字架が発見されていますから、我が国に昔、景教徒がたくさんいたこと、キリスト信仰があったということが知れます。」

「イナリ信仰のことをもっと詳しく知りたくなってきました。」
「またの機会に景教徒=秦氏=原始キリスト教徒(199ADですから2世紀ごろ)がやってきていたことなどお話ししましょう。今日はこれくらいで。」



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No3


   
  
南無イエス・キリスト




「南無阿弥陀仏は浄土真宗の念仏ですね。」

「そうですね」

「どんな意味かご存じですか?」

「さぁ」

「頼りない話ですね。あなたの家の宗派ですよね。」

「はい。習慣的にやっていることで真正面から考えたこともありません。でも日本中の人たちは似たりよったりだと思いますよ。」

「日本人は自分では仏教徒だと言ってますよね。でもどれほど本当のところを知っているのか、私は疑問符ですね。」

「どんな意味なんですか?」

「南無阿弥陀仏の南無は・・・を信じます、・・・に帰依します≠ニいう意味です。阿弥陀仏を信じますという意味です。」

「阿弥陀仏の名を唱えれば救われますというわけ?その阿弥陀仏とはだれですか?」

「阿弥陀仏自身は原始仏教にはなかったのですよ。」

「無いものなの?」

「アミダの名は「無量光、無量寿」を意味するサンスクリット語「アミターバー、アミターユース」から来たものです。無限の光、永遠のいのちの仏と言われています。どこかで聞いたことばのように思われませんか?永遠のいのちです。」

「聖書の中に永遠のいのち、よみがえりという話を聞いたことがありますが、もう少し詳しくお願いします。」

「ヨハネの福音書に「この方(キリスト)にいのちがあった。このいのちは人の光であった。」とありますから、阿弥陀仏その方はキリストであったということです。」

「南無キリストと言っていたわけですか。日本人は実際にはキリストを信じますと言っていたわけですか?浄土真宗はいったいどうなっているのですか?」

「そう、その浄土真宗なんですが、中国で景教のことを「真宗」と呼んでいたのですよ。」

「景教とはキリスト教のことですか?」

「そうです。光の教えという意味です。」

「偶然の一致?」

「それはないと思いますが、それにしてもあまりにも似ていますよね。」

「・・・・・?」

「浄土真宗は親鸞の教えですね。親鸞は景教の『世尊布施論』を学んだのでしょう。信仰による救いを唱えたのです。行いによるのではないと。キリスト思想を仏教にとりこんだようです。」

「まるでドイツのルターの宗教改革ではありませんか?」

「まったくそうですね。」

「そうすると、私たちが仏教と思って信じて拝んできたものは、実はキリスト教だった?」

「そう考えるのが妥当のようですね。ナム阿弥陀無仏という架空の人物を信じるのはなく、人生そのものの救い主である天の父なる神様がこの世に遣わして下さった人イエスをキリストとして拝み、人の罪を赦し、救ってくださったのだと信じる信仰を取りもどすべきだと思うのですがいかがでしょうか。」


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No4


   
アブラハムの試練が
日本に伝えられている




「ミサクチ神というのが日本にあるのは知ってますか?」

「いいえ、どこにおられる神なんですか?」

「諏訪湖です。祭りは4月15日“御頭祭”頭の祭りです。」

「おんとうさい?何の頭を祭るんですか?」

「いや、頭は鹿の頭ですが、不思議なのは、名前と儀式そのものなんですよ。諏訪は縄文文化の中心地です。
その諏訪には上社と下社があり、“御頭祭”は上社の前宮で行われます。その神の名がミサクチなんです。」

「へんてこな名ですね。」

「ローマ字でかいてみると M-ISAKU-CHIとなりますね。
ミは接頭語、イサク−チでチは神とか蛇という意味だと言われています。」

「イサク・・・どこかで聞いた名ですね。」

「そうアブラハムの一人息子の名、イサクです。」

「アブラハムと言えば、私も少しキリスト教には興味がありますので知っています。ユダヤ教にもイスラム教にも関係深い人の名前ですよね。」

「よくご存じで。」

「それがこの祭りとどういう関係があるのですか?」

「この祭りをする前宮のご神体が、すぐ後ろにそびえている山、守屋山です。私は2度ほど山頂に登ったことがあるのですが、360度見渡せる素晴らしい景色の山です。
途中に立札があって、日本の中心地と書かれてあったのは、諏訪の人の独りよがりだとも思いましたよ。」

「モリヤ・・・・」

「アブラハムがひとり子を神に捧げよ、と言われた山の名がモリヤ、今のエルサレムのあったところ、イエス・キリストが十字架にかかった場所なんですよ。」

「聖書の記事のアブラハムの試練とイエス・キリストの十字架とが関係があるのかどうか、詳しいことを教えてください。興味ありますね。」

「アブラハムの時代が今から3500年前、その伝承がなぜ諏訪の地で祭りとして行われているのか不思議ですね。
“御頭祭”では御神(おこう)と呼ばれる少年が柱に縛られ、柱ごと竹のむしろの上に押し上げられて、一人の神官が「刃物」で殺そうとする。それを他の神官が止めに入る。少年の代わりに75頭の鹿の首をはねる、という祭りです。
江戸時代まで行われていたのですが、今は鹿の剥製の首をささげるだけの祭りとなっています。
私が神官のひとりに、ひとりの少年を殺すしぐさをする儀式が省かれているのは残念ですね、と言うと、『そのところが一番大切な意味合いがあるのです』と言って悔しがっていました。」

「全く不思議な祭りですね。」

「100名近い諏訪の正装した男性が参列する厳かな祭りです。その雰囲気は、ただ事でないことを祭っているという感じがして、にぎやかな祭りの雰囲気は全く感じとれないものでした。」

「一度私も見てみたいです。」

「日本の諏訪湖の南約7キロのところで、神主守矢(もりや)家が78代にもわたって取り行ってきたというのですから、2000年以上も昔から執り行われていたと考えられます。日本人はどうしてこんな祭りを厳かに守っているのでしょうね。」

「聖書との関わりをもっと知りたいと思うのは、私一人の願いでしょうか?」

「日本は古代から聖書を知っている民がやってきていたという一つのしるしでしょうね。」


「私たちは聖書の歴史を大切にしてきたというのですか?」

「私はそう信じているので、イエス・キリストを信じるには妨げになるどころか、心の準備としては万全だと思うことが多々あるように思えるのですが・・・・」

「はい。わかるような気がします。」


  
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No5


   
   
   秦氏の名前


「はじめまして。私は畠田と申します。」

「はじめまして。上西、じょうにしと読みます。よろしく。」

「変わった読み方ですね。どこ出身ですか?」

「滋賀県、近江です。昔、屯田兵で九州に行ったそうです、そのところにある先祖の墓には滋賀県出身とありました。」

「近江の国には秦氏が多いのですよ。私の先祖は秦氏だと教えてくれた人がいました。ひょっとすると私たちは同族の出、秦氏というのが先祖かも。」

「秦氏?」

「羽田、畑、波田、八田、半田、山や川をつけて畑川、畑中、畠山、広畑、幡野、秦野、そして服部、羽島、林、神保、宋、田村、小松、大蔵、三林、小宅、本間、高尾、原、常、井手、四国の長宗我部氏、九州の島津氏など、その他いろいろですが、友人に木幡(こわた)さんという人がいますが、家系は神主だそうです。全部秦氏ですよ。」

「コハタと読む名前もあるのを知っています。」

「エリ・コーヘン氏がイスラエル大使の時、伊勢神宮前で私たちの大会にお招きしたとき、親しくお話をする機会があったのですが、彼はモーセの兄のアロンの末裔で確か百三十三代目だとか言っておられました。両者とも同じような発音は偶然でしょうかね。コーヘンとコーハタ。」

「日本にはいくつくらいの苗字(名前)があるのでしょうね。」

「三十万あるそうです。その名前から自分の家計の氏神がわかるそうです。ほとんど八幡神社、稲荷神社に属していることから見て、日本人は秦氏が多いようですよ。それらの神社は、秦氏が創建したものですから。」

「隣の韓国も名前が多いのでしょうか?」

「いいえ、ほとんど金(キム)さん、李(リ)さん、朴(パク)さんで、二百五十ほど、それに中国でも約三千五百。ヨーロッパ全体でも約五万でそのうちフィンランドが三万。」

「そんなに差があるとは!びっくりです。日本人はなぜそんなに名前が多いのでしょうね。」

「いちばん多いのが佐藤さんで、二百万人を超え、その次が鈴木さん。岡山県の人口が百九十五万人ですから、佐藤さんがどれくらい多いか分かりますね。全部八幡神社が氏神です。」

「マリナーズのイチローの鈴木さんは?」

「ルーツは紀州熊野。熊野詣でに行く上皇や宮廷貴族の案内役を代々務めていた氏族で、鈴木姓が全国に広がったのは、熊野信仰を広めるためだったのですよ。」

「その二人の共通点があるのですか?」

「そう、いい質問。その点が秦氏と関連しているのです。どちらの神社も秦氏がルーツなんです。その秦氏がどこから来たのかをつきとめましょう。」

「どこからですか?興味津津です。私たちのお父さんがどこから来て日本を作ったのか。ロマンですね。」

「はじめは村々が点在していたのは想像がつきますよね。」

「卑弥呼の時代は百余国だったと言いますからね。」

「そう。そして日本を建国し法制化し始めた人たちが秦氏であった。」

「韓国から来た人たちではなかったのですか?」

「違うでしょうね。韓国では秦という意味は『よそ者』という意味だったから。今の韓国地方に一時期滞在していたことは確かでしょうが、彼らは文化的に優れた技術と制度をもっていて、尚東の方に位置する日本を目指して海を渡ったとみられています。」

「現状で満足せず、もっと素晴らしい場所があると希望を抱いた人たちが、私たちの父だったわけ?」

「そうです。勇気があったのですね。新しい希望を抱いていた。」

「胸がわくわくします。」

「秦氏がユダヤ人、東ユダヤと言われているのですが、彼らはイエスを信じて世界宣教に心燃えていた人たちであったのです。」

「聖徳太子が馬小屋で生まれて、厩戸皇子と言われていた。」

「秦氏が彼に影響を与えたのは確かでしょう。日本建国に神信仰・キリスト教が関わっていたと思いませんか?」


  
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No6


   
   
   聖徳太子


「日本人が日本人で一番知りたい人物は誰だと思いますか?」

「さて・・・・・」

「あなたなら誰でしょうか?」

「聖徳太子です。」

「厩戸(うまやど)王子ですね。私たちが仲間にアンケートをとりましたらやはりそうでした。」

「なぜ厩戸王子というのでしょう。」

「『厩』とは馬小屋のことで、高貴な人が馬小屋で生まれたなどというはずがない、だからもうすでに馬小屋で生まれたすごい人がその時の日本に語り伝えられていたということになります。」

「イエスですか。でも第十七条憲法に篤く三宝を敬え、三宝は仏、法、僧でしょう?彼は仏教徒といわれています、」

「いえ、先代旧事本紀大成経では、三法とは儒、仏、神である、すなわちすべて民のよりどころとあるのです。」

「太子は日本神道を根本とし、儒教も仏教も尊ぶべしだった。」

「そうですよ。秦氏の長であった秦河勝をブレーンとして政治を行ったのです。仏教徒というより古代基督教を報じていたとするほうが納得がいきます。」

「日本の歴史をもう一度見直さなければならないような気がしてきました。」

「私もそのところに気づかされて、仏教、とくに大乗仏教ですが、神道もどのような真髄を言わんとしているのかをクリスチャン仲間と学びをしています。」

「それは興味深いですね。」

「私たちの学びの集いにやってきて、日本の心とイエスの伝えてくださった真髄を一緒に知ろうではありませんか。」

  
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No7

   
   
  お屠蘇


「新年あけましたね。」

「おめでたいことですが、今年もめでたいことが多いといですね。」

「お節料理食べましたか?」

「昨今は、百貨店で買ってきてそれで間に合わせているのですが、なんだか心がこもった正月の味が薄れているような気がします。」

「いやー、ほんとにおっしゃるとおり。正月のお節料理はいいですね。私が子供のころは母が年の瀬に忙しく正月の7日間の食べ物に追われていたのを覚えています。
買ってくるのも自分で料理を作るのも正月の雰囲気はなくしたくないですね。あのー、お屠蘇というお神酒をいただきますがなぜ、お屠蘇というか知っていますか?」

「お屠蘇(おとそ)?昔からそのように言うのでお屠蘇を飲んでいますが・・・」

「漢字で書くと屠は、尸(しかば、かばね)に者とかいて硬直した死体とか、家畜を殺して肉をとる、ほふるという意味そして蘇は甦る、です。」

「変テコな料理の名前?」

「正月三が日は屠蘇を飲む。屠(殺して)三日目に蘇(よみがえ)る。蘇ったのは誰でしょうか?」

「・・・・・・・」

「イエスですね。関係があるのですよ。」

「屠蘇、発音からでは意味不明ですが、漢字の意味が深い・・・・。」

「正月の前日、大みそかに昔から日本では正装して元旦を迎えて、神社にお参りに行く。その風習がイスラエルの過越しの祭りそのものです。」

「過越し?」

「イスラエルの民がエジプトの奴隷として苦しんでいたときに、モーセによって解放されるのですが、その脱出する前の晩のことです。神は、イスラエルを解放するために、頑固な悪い王であるファラオにイスラエルを解放しないと、エジプトの長子を殺すと言われたのです。
イスラエル人は家の鴨居に血を塗りました。すると主の使いはイスラエル人の家を通り過ごしたのです。出エジプト、解放を忘れないために過越しの祭りを行うのです。」

「血のサインによってイスラエル人は救われた、ですか。」

「はい。そしてその日から7日間羊をほふった時の血であるお酒(ブドウ酒)すなわち、お屠蘇を飲み解放されて生き返った記念として、イスラエル民族がしている祭りのしきたりをどうして日本人である私たちがしているか、不思議だと思いませんか?」

「まったく、不思議ですね。」

「私たち日本人は、イエスキリストの十字架、そして蘇りを体で味わっているのですが、知らないで拝んでいる神をもっと知るために、私が通っている教会にやってきてあなたもその意味を深く知っていただきたいものですが・・・・。」

「そうですね。日本人として意味もわからず、お屠蘇を飲んでいましたが、死んで蘇られたイエスですか。私も教会に行くようにしたいですね。連れて行って下さいよ。」

「次の日曜日いかが?」


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No8

               お餅     


「正月にお餅を食べますが、なぜか知っていますか」

「そんなこと・・・?!」

「お餅のルーツが旧約聖書にあるのですよ。」

「まさか?・・・・・」

「イスラエル民族がエジプトの奴隷となっていたところから逃げ出す時です。時は紀元前千五百年くらい前です。」

「チャールトン・ヘストン主演の十戒という映画を思い出します。」

「『羊かやぎの血を家の二本の門柱と鴨居につける。その夜、その肉を食べる。種を入れないパンと苦菜を添えて食べなければならない。あなたはこれを主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠の掟としてこれを祝わなければならない。』と神が言われた、と聖書に書かれてあるのですよ。」

「逃げ出す時にですか。」

「ユダヤ暦の大みそかにあたる日、
翌日がニサンの月、夕暮れに過越しのいけにえを主にささげたとあるのです。その時、種入れないパンを食べた。発酵させない小麦粉の輪型のパンです。そのしきたりは十二個のパンを一並びに六個ずつ二並びに置いた。十二部族を象徴しています。日本のおかがみは一並びに三個ずつ床の間に二並びに置きますが。」

「日本人がやっているそのままじゃないですか。」

「それだけじゃないのです。種入れないパンのことをヘブル語(母音がない)MTshと書きます。モッチでしょう。現在はそれをマッツォと発音している。日本語では餅(もち)ですよね。」

「マッツォですか・・・」

「エジプト脱出後、荒野をさまよった四十年間だけでなく、彼らの風習として、種入れないパンを食べつづけた。荒野途上中健康だったというのは、信じられないでしょう?」

「第一の月、つまり正月に発酵させない純粋の米のパン≠キなわち「マッツォ」を食べて、健康、長寿をたもつということですか。」

「そのとおり。」

「健康は人生を豊かにしますね。」

「というより、そのものずばりですよ。世界で平均寿命第一位というその記録もそのあたりに的を射そうですね。イエスは『人はパンのみで生きるのはない。』と言われたのをご存じですか」

「有名なことばですから、それは知っています・・・・」

「イエスは、過越しの小羊として、ニサンの月の十四日午後十字架上で死なれ、十六日の朝よみがえられた。イエス・キリストが真のパンだから、日本人はその象徴として正月お餅を食べて、世界一の長寿国として今頭角をあらわしているのです。」

「日本人の長生きはすごいです。だからこそいかに生きるかという高齢化対策が問題なのですね。」

「そうですね。聖餐式で、パンを裂いて食べるクリスチャンの儀式で、イエスは言われました。『これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。』と。私たちが裂くパンを食べるのは、キリストのからだにあずかることです。永遠のいのちだけでなく、日常の生活での万病に効く薬と予防の働きをするのですよ。」

「私たち日本人は、彼によって邪気が除かれ、健康を保つことができる。知らないで正月に餅を食べて祝っているのですか。」

「紀元前七六〇年頃、キリストを預言してイザヤが言いました。『彼は私たちの病を負い、私たちの悩みをになった。・・・彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。』と。メルギブソンが制作して空前のヒットしたパッションと言う映画見ましたか?」

「見ました。すごい映画でした。目をそむけましたよ。」

「そう、私も息をのんだ。イエスのからだが骨のついた鞭で打たれ、肉が裂かれ、まるで蒸篭(せいろ)で蒸された米が、臼のなかでたたかれ練られていくようでした。」

「・・・・・・・・」

「イエスのおかげで健康と長寿の恩恵を受けます。イエスの十字架上での死が、人にのしかかる呪いを解くのです。彼を信じてこの年を乗り切りましょう。」

「わかりました。信じます。」


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No9

          日本最初のクスリ     

「日本の最初のクスリは何だと思いますか?」

「ガマの油?」「半分正解!因幡の白ウサギがクスリを塗ってもらった。日本の最初のクスリ。ガマ(蒲)の穂がそのクスリ。水で洗ってガマの穂にくるまった治療法で、血の表面を広げるから止血剤になるそうな。」

「へぇおどろき桃の木山椒の木」

「ガマの穂はきわめて刺激が少ない穂であるから早く皮膜を作る手段になるそうだ。」

「大国主命の時代?」

「そう、大やけどをしたとき、その傷口にハマグリの汁をかけた。亜鉛華軟膏と同じ効果を表すアルカリ性の強い液汁を出す。皮膚組織の復活をすばやくする作用があるのだ。神話だからと言って初めからバカ扱いにしている人がいますが、案外そんな人が玄関を出るときに右足から出るか左足からかを悩んでいる人がいます。」

「自分で何を言っているかほとんど分からないのですね。私も名神迷信のとりこ?かもね。」

「春の七草を食べる季節に入ったね。昔から乳の出ないお母さんはハコベを食べた。野草のひとつでタンパク質が多いのです。セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、ススシロの春の七草はこの時期に体の隅々まで新鮮にしてくれる効果をもたらすことを昔から知っていた。」

「この寒さの中で体に良いものは、けっしてハンバーガーではない。チキンナゲットでもない。」

「セリは増血剤、ハコベラはたんぱく質、オオバコは血圧低下を助け、これらすべて健康食品、薬品効果をもつらしいね。七草がゆを食べましたか?」

「食べましたよ。」

「この食べ物の風習はイスラエルにありました。正月15日から7日間は種入れぬパンの祭り、即ちおもち(マッツオ)の祭りですけど、その後苦菜(にがな)を食べました。」

「イスラエルの風習が日本にあるということを聞くと、なんだか聖書が身近に感じます。」

「私たちの集会は、日本を学びつつ聖書を学んでいます。もちろん精神的な意味を知って、心の糧にしているのです。次の会合のとき私と一緒に来ませんか?」

「いいですね。」
          
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No10

           蘇民将来     


「伊勢や伊勢志摩の家の軒先に『蘇民将来子孫家門』と書いた札がしめなわに吊(つ)り下がっているのを見たことがあるやろ。」

「ある、ある。」。

「むかし、牛頭天王がお嫁さんをさがしに竜宮城へ出かけられた時、泊めてもらうと、立派な一軒家で長者、巨旦(こたん)に頼んだ。」

「牛頭天王とはスサノオノミコトだという話もあるそうな。」

「よく知っているね。巨旦は、断ったが、貧しい弟の蘇民は快く泊めて世話をした。牛頭天王は旅を終えて自分の生まれた国に帰る途中、また蘇民の家に泊まって蘇民を祝福した。」

「それで?」

「蘇民の子孫が、このとき牛頭天王が言われたように、『蘇民将来』と書いた木を身につけた。」

「それで、この木の札を家の玄関口のしめなわに取り付けてるのかい?」

「まぁ、簡単に言うとそういうことやけど、将来に蘇る民≠ニいうことばが気になる。どう思う?」

「?」

「まるで復活することを約束した神さまの約束みたいで不思議やと思えへんか?」

「そうやな。」

「伊勢に祭っている神さまは誰か知ってるか?」

「そりゃ、天照大神や。」

「そのアマラスは天岩戸にお隠れになったということは?」

「そんなことみんな知ってるわ。」

「そして岩戸から出てきて再び地上に光が照ったということは?」

「それも知っている。日本人ならだれでも知ってる。」

「死んで蘇みがえったのや。」

「なるほど。」

「まるで、イエス・キリストみたいやと思えへんか。」

「なるほど。」

「人にとって最も良いことは、神様を信じて良い行いをすることや。」

「そうや。」

「それが将来蘇る民や。死んでも生きるのや。信じてみようよ。」

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No11

   籠神社、元伊勢から


「京都の籠神社って知ってる?」

「いいや、知らんわ。」

「日本で一番古い神社という話ですよ。丹後半島の天の橋立にある」

「天橋立は知ってる。」

「天からはしごが降りてきたというところで、日本三大名所のひとつ。十一月の新嘗祭に合わせて集まりがあるのや。」

「どんな?」

「日本の古代、二千数百年も前、天皇家の祖先の兄さん籠神社の海部氏の祖神やけど、彦火明命(ヒコホアカリノミコト)の別名に、天照国照彦火明命という人をまつっている。伊勢神宮の元伊勢と言われているところや。」

「アマテラスか?」

「日本人の心の故郷、故郷とは親のいるところ。だから、私たちが帰るところというわけや。日本人のルーツを探る大会なんやけど。」

「面白そうやな。」

「天照国照彦、だから男や。」

「アマテラスは男だった!ほんまかいな!」

「彼は天岩戸にお隠れになって、それから出てきて、世の中に光が照った。これは死んでよみがえったというメッセージや。それを探って、日本人の精神性というか霊性を知る大会やけど行こうや。」


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