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1 京都天橋立大会
2 伊勢神宮研修会
3 アビハイル師セミナー
4 2010年総会研究発表
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新会長就任あいさつ
6 いかにして始まり、続いてきたのか
7
2008年一つ物祭り大会報告
8 機関誌(創刊号)
9
機関誌(大会10年の歩み)
10 日本のイスラエル
11 会則役員
12 会員募集(お申込)
13 掲示板(声)
14 研修センターはどんなところにあるの?
15 研習(研いで習う)会内容
16 雲の柱
17 同祖論関連の本
18 TAPE/CD/MP3リスト表と申込書
19 イスラエルと日本の類似
20 伝道切り口一考
21 音声メッセージ
22 English Version
23 リンク
 研修センター登茂山より英虞湾次郎六郎海岸を見下ろす
 日本の救霊のために          会長 小石 豊 
 古代日本と離散イスラエル人の謎   レムナント出版主幹 久保 有政
 日本人クリスチャンのみなさん     副会長総務 畠田 秀生
 フォーラムに期待すること        聖書研究会主事 村岡 大輔




 創 刊 号

1996年10月No.1

日本の救霊のために  
会長 小石 豊

 
主の御名を心から賛美いたします。幕末から維新にかけて、現状を危惧する『草莽』(そうもう)とか『草莽の臣』といわれた人々がありました。
彼らは権力の支配機構としての官僚体制からはみ出たり、はみ出された地方の無名の志士たちで、藩を脱藩した浪士や地方の豪農商出身者がいました。
国家の政治、郷土の行く末を案じ、将来の危機意識を高揚し、その思いを草むらに住む者に託す発想でした。

 吉田松陰が「草莽崛起(そうもうくっき)、あに他人の力を仮らんや。
恐れながら、天朝も幕府・吾が藩も入らぬ。
只だ6尺の微躯が入用」といって無名の士に呼びかけた『草莽崛起論』が有名です。
明治維新はこのような草の根運動が列島全体に拡大し、ついに開国にまで進展して行ったのでした。

 新しい『聖書と日本フォーラム』の発足を主に感謝しております。
フォーラムとは『広場』という意味で、広場に集まってお互いが、かんかんがくがく語り合い、共に主に祈って励まそうという願いから始められました。

 目的は『聖書と日本』です。聖書を愛し日本を愛する同信の友の集いです。
日本人の救い、救霊のためにいかにすべきかを学びます。
会則にありますように、「聖書を基とする信仰を日本人の立場から見直し、イエス・キリストの福音を日本に浸透させ、土着化させるため」であります。

 その意味から、私たちはキリスト教会の中の『草莽の臣』でありたいと願っています。
今は小さなフォーラムですが、日本を見つめようというキリスト者の叫びが次第に全国的に広がり、一つの信仰告白となって聖霊のお力による豊かな実を結ぶ時が来ることを確信しています。
それと共に私たちはユダヤ人に対する温かい友情と協力を惜しみません。

 なぜならみことばは彼らから出たからです。
また、未来に対する聖書預言とその展開に対しても、深い関心を持っています。
失われた10部族の回復も、近未来に起こる『イスラエルの回復』に関わるひとつのテーマでありますから、神の時代的展開がどのように進められるかという神学的立場でこれを掘り下げていきたいと願っています。

 サマリヤの女に向かって主は「あなたがたは知らないで礼拝しています。」(ヨハネ4・22)といわれました。
ご存知のように彼女はイスラエル10部族の血を引いていました。
日本人も真の神を知らないで、古代からの伝統と形式の中で礼拝しています。
この国の古代史の神秘、天皇制や神道、風俗習慣の意味するところなども研鑽します。

 まだまだ始められたばかりですから、互いの研究発表によってより多くの、より正しい聖書的・日本的知識を蓄積し、ひいては同胞の救いのきっかけとなれますように整えて行きましょう。
皆様のお祈りと参画を期待しつつ。


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古代日本と離散イスラエル人の謎  レムナント出版主幹 久保 有政

 「今から数千年前、日本にようやく人が住み始めた頃、古代イスラエル(ユダヤ人)もはるばる日本に渡来し、日本の文化形成に大きな影響を与えた」とする説が、わが国において、またユダヤ人の間でも、しばしば唱えられてきました。
この説について、私たちはいくつかの検討を加えてみることにしましょう。

イスラエル人は古代日本に来たか


 はじめに、私がこれから何を述べようとしているのかを、はっきりさせましょう。
第1に私が述べようとすることは、日本の文化のどのような事柄に、古代イスラエル文化の影響が見られるか、ということです。

 たとえば、日本の皇室の紋章である「菊の紋」が、エルサレムの門にも残っています。
また伊勢神宮の灯籠には、ユダヤ人の印である「ダビデの星」が刻まれています。
これらははたして、古代イスラエル文化の日本へ流入を、示しているのでしょうか。

 また、神社のお神輿がイスラエル神殿の「契約の箱」によく似ていること、神社の構造自体が古代イスラエル神殿によく似ていること、日本古来の祭りの幾つかが古代イスラエルの祭によく似ていること、などが学者によって指摘されていますが、これらについてはどうなのでしょうか。

 さらに、日本語の中にヘブル語の影響が見られる、とも言われています。
私たちが数をかぞえるときに言う「ひぃ、ふぅ、みい・・・」がヘブル語である、と指摘する人もいます。

 第2に私が扱う問題は、こうした事柄が、紀元前721年に祖国を失った「イスラエルの失われた10部族」の行方、および紀元70年に祖国を失ったユダヤ人の行方とも関係があるのかどうか、ということです。

 古代イスラエル民族は、もともと12の部族から成っていました。
彼らは紀元前10世紀のソロモン王の時代には、統一王国を形成していました。
しかし、ソロモン王が死ぬと、彼らの王国は分裂。
北王国イスラエル(または単にイスラエル)と、南王国ユダ(または単にユダ)とに分かれました。

 北王国イスラエルには10部族がつき、南王国ユダには2部族がつきました。
北王国イスラエルについたのは、ルベン、ガド、マナセ、エフライム、イッサカル、ゼブルン、ナフタリ、アセル、ダン、それにベニヤミン族の一部でした。
また南王国ユダについたのは、ユダと、ベニヤミンのほとんどでした。
レビ族は祭司の部族として特別な任務を与えられていたので、割当地を持っていませんでしたが、南王国内に住みました。
したがって南王国は2部族とは言っても、レビを入れれば3部族でした。

さて紀元前721年、イスラエル10部族から成っていた「北王国イスラエル」は、アッシリヤ帝国に滅ぼされ、民は捕囚となって捕らえ移されました。
その後イスラエル10部族は、ユーフラテス川の東側地域に離散しました。
ユーラシア大陸の各地には、イスラエル10部族が来たと思われる痕跡が、幾つか見受けられます。

彼らははたして、日本にも来たでしょうか。
また紀元70年に、南王国ユダの人々も祖国を失い、世界中に離散しました。
彼らは「ユダヤ人」と呼ばれ、その中にはシルクロードを通って、はるばる東洋の地までやって来た人々もいました。
ある学者は、彼らユダヤ人の一部は日本にも渡来し、日本にユダヤ文化を持ち込んだ、と考えています。
これらの考えについて、私たちは詳細な検討を加えてみましょう。

古代日本と離散イスラエル人の謎

失われた10部族はユーフラテス川の東側に離散した


 まず、イスラエルの「失われた10部族」の行方について、見ておきましょう。
聖書によると、紀元前10世紀に、北王国イスラエルの10部族に関して次のような予言(預言)がなされました。

「主(神)は、イスラエル(北王国のこと)を打って、水に揺らぐ葦のようにし、彼らの先祖たちに与えられたこの良い地からイスラエルを引き抜き、ユーフラテス川の向こうに散らされるでしょう。
彼らがアシェラ像(偶像)を造って、主の怒りを引き起こしたからです」(1列王14・15)

 この予言は、約200年後の紀元前721年に成就しました。
その年、アッシリヤ帝国が北王国イスラエルに攻め入り、民の主だった人々を、みな捕囚としてユーフラテス川の東側に連れ去ったのです。

 聖書にこう記されています。
「(北王国最後の王)ホセアの治世第9年に、アッシリヤの王はサマリヤ(北王国のこと)を取り、イスラエル人をアッシリヤの捕らえ移し、彼らをハラフと、ハボル、すなわちゴザン川のほとり、メディアの町々に住ませた」(2列王17・6)

 考古学者たちは、このときのアッシリヤ王がイスラエル人捕囚について記した古代碑文を、発見しています。
その碑文の記録によると、このとき捕囚された民の数は約3万人でした。
アッシリヤ王は北王国イスラエルの主だった人々を、捕らえ移したのです。
祖国に残されたのは、貧しい人々や、庶民だけでした。
これは被征服民を無力化し、彼らが2度と反乱を企てないようにするための、アッシリヤ帝国の占領政策だったのです。

 人々が捕らえ移された地「ハラフ、ハボル、ゴザン川のほとり、メディアの町々」とは、ユーフラテス川の東側の地です。
北王国イスラエルの10部族は、アッシリヤ帝国が滅びた後も祖国に帰らず、ユーフラテス川の東側の地域に離散しました。

 紀元1世紀に生きたユダヤ人歴史家ヨセフスは、こう書いています。
「イスラエルの10部族は、今でもユーフラテスのかなたにおり、膨大な民衆となっている」(古代ユダヤ誌11巻5章)。
彼らは、この後どうなったでしょうか。
彼らの行方に関する正確な資料はほとんどありませんが、各地の言い伝えの中には、幾つかのヒントがあります。

 10部族の一部は、その後もすぐ近くの、黒海とカスピ海の間の地に住んだようです。
この地方に住むカザール人の間には、自分たちは10部族の子孫だ、という言い伝えがあります(現在のユダヤ人の9割を占めるアシュケナージ・ユダヤ人は、このカザール人の子孫である、との説もあります)。

 また旧ソ連のグルジヤ共和国あたりに住む山地ユダヤ人の間には、自分たちは「失われた10部族」の子孫だ、という言い伝えがあります。
ペルシャの一部族の間にも、同様の言い伝えがあります。
アフガニスタンのある人々は、自らを「バニ・イスラエル」(イスラエルの子孫)と呼び、自分たちは失われた10部族の子孫だと言っています。

 彼らは国柄、イスラム教に改宗していますが、今でもイスラエル人の習慣を守っています。
1200万〜1500万人いる彼らは、幾つかの部族に分かれています。
1つはジャージーと呼ばれ、ガド族に関係があると言われています。
1つはシンバリーと呼ばれ、伝説によればシメオン族の出であるといいます。

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日本人クリスチャンのみなさん  
副会長総務 畠田 秀生

 日本人のクリスチャンのみなさん。たいへんな間違いを犯していないでしょうか。
愛の贈り物として欧米の宣教師の献身的な奉仕のもと、救いを受け入れ、神さまのめぐみを一身に受けているのを感謝すれども、その恩恵に何ら文句のはさむ余地などはありません。

 しかし、唯一の神を信じまっすぐ見つめるあまり、その傘の下で日本人としての国民性、独立の精神、古来から先人たちがつちかってきた伝統、風習、お祭りなどを捨てるだけでなく、それらを汚れたもののように見てはいないでしょうか。

 トリイをくぐるのが汚れるのではなく、また仏閣の前に立つことがその霊力の悪影響を受けるのではありません。
告別式え焼香をしないことが、全能の神さまに忠実な信仰を表すことではありません。
戦争で若き命を捨てた英霊に手を合わせることは、ネブカドネザルの金の像の前で頭を下げなかったシャデラク、ミシャク、アベデ・ネゴの信仰に反することではありません。

 祭りの神輿をかついで興じている者たちや前述の諸例の中にいる日本の人々を、偶像をかつぐ者よと嘆いているそのあなたや私の心が、また目が、日本の1億2千万の人々の目をイエスに向けさせなくしているのではないでしょうか。

 昭和天皇が「私は神ではない」と言われたことを、鬼の首でも取ったかのように勝利を宣言し、天皇制云々などと公の場や私的な場で批判しているその舌が、日本人の日本人であることを喪失宣言しているにほかならないのではないでしょうか。
クリスチャン日本人が日本人であることを捨てて、日本人を真理、いのち、道であるイエスに導くことができるのでしょうか。

 神でもないものに頭を下げよ、日本の風習、伝統、偶像礼拝を甘く見よと言っているのではありません。
問題は、日本そのものを見つめず、理解せず、日本人をわかろうとせず、日本固有のものを愛さないことにあると思われるのです。
そのようなクリスチャンは、自分の家族を顧みないという愚かさを犯して、信仰を捨てたのと同じだとさえ言われてもしかたがないのではないでしょうか。

 日本人である前に神の子であらねばならないという主張は、霊的であると理解されやすいのですが、文字は人を殺します。
霊が人を生かすのですが、父、母、子、娘を捨てよと確かにイエスさまは言われました。
が神の霊に導かれた新生した者は、文字どおりに出家して家を捨てません。
むしろ、イエスさまの愛に触れ、もっと父、母、子、娘の面倒をみるではありませんか。
父、母、子らの救いを願い自らを捨て彼らにつくしていることが霊的なのです。

 このように、失われた日本人に対して、日本を愛し日本を尊ぶ姿勢をもたない接触によって、不毛の畑を耕している農夫が、その眼前に荒れ果てた地を見ているように現在の日本のキリスト教会の魂の刈り入れ状態を呈してます。

 日本のクリスチャンが、日本の国家的、民族的大危険を自ら犯していると1927年内村鑑三は言いました。(内村鑑三信仰著作全集24P223)。
それから90年後の今日、彼の言われたその危険性はけっして小さくなってはいませんし、むしろ増大しているようです。

 日本人的心情を受容し重要視することと魂への情熱からくる日本への愛は、ちがいます。
聖書預言から見ていくべきものとして、それらを共にフォーラムで見ていきたいものです。

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フォーラムに期待すること  
聖書研究会 主事 村岡 大輔 

「日ユ同祖論」、「古代日本のユダヤ渡来民」、「日本の年中行事とユダヤ文化」etc。
こういう字を見たり聞いたりするだけで、顔をそむけたり、声高に否定論を展開する人がいる。
かと思えば、これらの歴史的根拠(多くの場合の主観的根拠であるが)について、顔を紅潮させ、とうとうと力説してやまぬ熱血漢もいる。

 賛成、反対いずれにしても、一般の歴史学でいうような確実な論拠や、証拠となる文献資料が、今のところ実在しているわけではないから、いわゆる学者達にしてみれば、ソッポを向き、さらにいささか軽べつの眼でこの論争を静観せざるをえないという事態になっているようだ。

 これに加えてどうしたことか、日本人という人種は、外国人、特に白人が日本人をどう見ているかということには、異様な程の関心をもつのだが、自分の目で、日本人、つまり自分自身を見直そうという気にならないという問題点がある。
つまり、自分のルーツを自分の感覚でとらえることには、サッパリ興味がないらしいのである。
だからこそ、日ユ同祖論を主張する側はますます変人扱いされるし、反対する側も感情的になるという仕儀にならざるをえない。

 その上、さらに悪いことには、今の日本人は「金もうけだけが人生だ」と思いこんでいるフシがあり、自分のルーツをたずねるというような、いわばロマンに属すること、いいかえればナンの腹のタシにもならぬことに、血道をあげる気なぞ全くありませんというのが本音なのかも知れない。

 このような時代背景をふまえて、この度の「聖書と日本フォーラム」が発足し、本紙が発行されることになったのであるが、えてしてこういう研究グループは、たんなる物好きの集団となるか、一種のくさみのある偏向思想集団と化していく危険性がある。
しかし、筆者は頭から、物好きや思想集団が悪いといっているのではない。
元来、新しい思想や哲学は、古い時代思想の持ち主から見たら、100%の物好きや偏向に見えるのであるから、これを恐れたら何もできなくなることはいうまでもない。

 ただ注意せねばならないのは、仲間内だけで通用する言葉や信条を暗号のように用いたり、腹の中で反論や異論があるのにそれを口にできないような屈折した徒党になっては困るのである。
だから、特定の人の特定の思想に従うのではなく、いわば、開かれた話し合いと共感を主軸にした集まりとして育ってほしいのだ。

 勿論、フォーラムの主旨は、聖書信仰を日本に土着化する運動の一手段として行われることはいうまでもないが、これを急ぐあまり、従来の伝道会形式のような集いをたえずくり返すことは、逆に出席者の反感を生むことになるかも知れない。
こうなったら、まさにアブハチとらずである。

 会則にもある通り、会員資格としてクリスチャンであるなしを問わないのであるから、筋金入りの反宗教主義者や、徹底した無神論者が入会してもよいのである。(実は、こういう人の方が素朴に神をうけとめやすいのであるが・・・)
こういう立場の人に対して、日本古代史というクッションを用いて、縦横に文化的な福音対話が行えないようでは、たんなるクリスチャンの一グループに終る可能性がないとはいえないのである。

 このフォーラムを機に、筆者自身がまず、いわゆるヤソ臭さを捨て去り、一日本人、いや、神のかたちにかたどって神に創造された人間の原点に立ちかえり、福音を改めて見直すチャンスとしたいと願う次第である。



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