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1 いかにして始まり、続いてきたのか
2 大阪古墳大会報告
3 機関誌(創刊号)
4 機関誌(大会10年の歩み)
5 日本のイスラエル
6 会則役員
7 会員募集(お申込)
8 掲示板(声)
9 研修センターはどんなところにあるの?
10 雲の柱
11 同祖論関連の本
12 TAPE/CD/MP3リスト表と申込書
13 イスラエルと日本の類似
14 4月27日より
総会と研修会
          
    


 2007年11月22日快晴、午後5時に事務局を預かっているメンバー数名、その他大会の下準備をする者たちが会場の廊下に集合。
打ち合わせである。
国際障害者交流センター「ビッグ・アイ」は新築間もない至れり尽くせりの施設であるが、19時開幕のため18時からしか準備のために開場してくれない。
急いで垂れ幕、マイクロフォン、キーボードを初め受付の準備に取り掛かる。
しかしその前に十数名が頭を垂れて大会の上に、神の祝福を祈った。
ひとり一人真摯に祈るその声が大会に神様の霊が覆うであろうことを大いに期待できるものであった。

 実際そのように大会は進められた。
当日参加5名。申込者の参加は全員で60数名。
90名収容できる部屋の後部に関係諸本、機関誌、真珠店の会員の奉仕で捧げられた額やネックレス、タイピン、事務局員のヤーコン茶、今までの大会メッセージカセットテープ、ビデオテープ、CD,DVDが並べられた。
これらの売り上げは全部で77,060円。これらは、大会諸費用、部屋代、マイクロフォン3本、プロジェクター使用料、演台、その他の諸費用に当てられた。

 会計全般報告は次号の機関誌に掲載するが、19時に総合司会の事務局長の畠田牧師により大会の幕は上がった。
小石会長の開会の挨拶後、会長の講演「主の祭壇を見よ」そして後半は、山ア牧師による「大山古墳」の概要が語られた。

 21時初日は終了:翌日朝9時開場。
山ア牧師の第2回目講演後、飛鳥昭雄氏のざっくばらんの古墳の秘話は、日本の中に隠されたものの数々、古墳に埋められていたものが発掘され、今やアメリカにあるのではという話、神道関連の裏話などは、講演直後に販売されたテープが30本ほどほとんど完売。

 23日の午後1時2台大型観光バスに60数名が乗り、堺市役所21回展望台から大山古墳を眺め、仁徳天皇陵に向かいその直後、博物館と巡った。
午後5時に「ビッグ・アイ」に帰る。

 19時から3班にわかれ、分科会:
1.神谷氏「異邦人の完成のなるとき」
2.輿水牧師「異端と正統を越える手がかり」
3.山ア牧師「大和建国前の日本人の神信仰」
にそれぞれ15名くらいづつが出席し、輪になって座りその題材に合わせた話し合いの時をもった。
20時より全員が一同に会し、それぞれの会の報告を聞いた。

 最終日24日(土)朝9時から小石会長の講演「14万4千人は誰か」の日本的解釈に日本人への使命感を抱。

 11時より畠田副会長の「日本人クリスチャンのアイデンティティー」により大会は締めくくられた。

 これが一連の流れであるが、その講演内容をここで記すことを控えさせていただく。
何故なら内容は、機関誌にて随時報告されることになるからぜひそれを読んでいただきたい。
また興味ある人は事務局へFAXしてくだされば、講演テープおよびDVDなど郵送します。

 今回の大会も、日本が大山古墳のように今は隠されているが、墓があばかれ封印が解かれていくようであった。
日本への福音が低迷している事実に、不思議な神の御手を感じる。
日本がイスラエルと関連しているのではないかということをまたあらためて感じさせてくれる集会であったことだけは確かである。
野球観戦を場外でその歓声を耳にしているだけではその白熱戦の興奮は味わえないように、やはり参加して講演者の数年にわたる研究を直で肌に感じ、肉声で聞き、その場の雰囲気を味わっていただきたい、これが参加者の願いでした。

 大会後、数日たっても参加者の声がメール、電話、はがきで「よかった」「日本はいい国です」「ご苦労様でした」の声が届いている。



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