市町村合併に思う

一言居士の合併論・過去録より   

1、合併の背景

平成12年4月に地方分権一括法が施行され、新時代にふさわしい地方自治の実現を目指すために市町村の基礎体力の強化が必要となってきた。地方自治体は自主的・主体的に自らの行政を行うことができる反面、自己決定・自己責任という地方分権の原則の下におかれる事になり、市町村の行財政基盤を強化することが不可欠となり、その規模・能力を強化するために、市町村合併が進められる事になったものです。

これらことについて、今の時代を明治維新と捕らえる有識者がいるが、私も同感です。

江戸幕府の末期には、幕府は言うに及ばず各藩財政も破綻状態に陥り、更なる重税が農民を苦しめ一揆が全国的に広がって行った。幕府は太平に流され統治能力もなく、手をこまねくばかりの暗澹たる惨状であった。加えて、列強の脅威に備えて開国論が盛んになり明治維新につながっていったのが日本の歴史です。

今の状態も幕末期と似て、国・地方を問わず財政破綻が目前に迫っており、借金によってかろうじて現状を維持しているに過ぎない。加えて、少子高齢化の波は加速度的に進展するし、国際社会との競争も激化してきており、将来の税収不足による行政サービスの低下が懸念される。そのため国は地方分権とか、自己決定とかと言う耳障りの良い言葉で地方の独自性を際立たせながら、自治体の整理にかかって来たと考えます。

今まさに、明治維新によって成立させた中央集権政治の終焉を迎えようとしております。廃藩置県によって明治政府は幕藩体制を崩壊せしめたが、この際は、合併市町と言う地方行政体の経営を地域住民に委ね、国家財政を軽くすることに踏み切った。

それが小泉首相の構造改革や、町村合併問題であり、国から地方へ、官から民へと言う流れにつながる動きです。しかしこれは当然の帰結であり、ねずみ講的に国家経営してきたツケが今になって回ってきたものと考えざるを得ない。いつかどこかで決着をつけねばならない問題であり、賛否を議論している余地はなく、より良い合併を目指さなければ日本の将来に更なる禍根を残す事になる。

反面、合併すれば町や暮らしがよくなると言うのは幻想であり、首相も言うように構造改革と同じく、それによってバラ色の道が開けるわけでなく、痛みの伴う苦肉の策であることを認識して置きたい。

 

2、合併の範囲・規模

合併の範囲について、今進行している枠組みを無視して、大雑把に志摩市の中の浜島町と、伊勢志摩市の中の浜島町にどんな違いがあるのか考えてみた。すなわち5万人都市か、30万人都市か。はたまた鳥羽市、志摩郡、南勢町を含んだ10万人都市か。

現状の浜島町民の生活圏は志摩郡内に止まってはいない。桧山峠を利用すれば30分そこそこで伊勢まで行かれるようになった。鳥羽市や和具へ行くよりも時間的に近くなっている。近代的な生活圏域での運命共同体は、一昔前からすれば随分広くなっており、今や、伊勢へ泊りがけで仕事に出たことなど考えられないほど行動範囲は広がっている。東京日帰りで仕事が出来るのが現実社会となっている。

また、県庁の位置も、政府位置も北の地であり、県の南端に当たる当町が広がる領域は北より他はない。端末でこじんまりまとまる事で合併効果を得ることはなく、チャンスさえあれば北へ北へと大きくまとまっていかねばならないと思う。合併の初期の目的である市町村の自立には、一定単位の規模が必要であり、合併メリットを享受するには10万人を下回ってはならない。なぜなら、市町村の財政を支えている地方交付税の算定基準そのものが、現在でも10万人を標準市町村としており、今後の改正では小規模ほど不利になるような改正が予想される。

それに、5〜6万人規模で都市機能を整備するなどは無駄な事であり、合併の本旨を誤れば未来に大きな負担を残す事に過ぎず、今の合併努力も時代を逆に走っていることになりかねない。

しかし今の鳥羽・志摩の混乱状況では、伊勢市周辺町村から敬遠されるのも当然の事であり、こだわってばかりはいられないのも条里である。また志摩郡5町合併の努力もし尽くした感も有るが、5町合併でも6万人、合併メリットを得るためにはまだまだ少なく地方分権の受け皿としての行政体には程遠い。

いくら4町合併がスムーズに進んでいるとは言え、600年以上続いた運命共同体の磯部町の参画しない都市作りは砂上の楼閣に過ぎない。広域連合人口でちょうど10万人、小事にこだわらず少なくともこの規模の合併が必要ではないのか。

それでこそ地方分権の受け皿としての30万人規模合併への一里塚と言える。

小さな土俵の上では小さな相撲より取れない。

 

3、浜島町の役割

市町村の自立と言う合併効果を出すには、5万人規模では果たし得無い事を鏤々述べてきた。また、今回は無理だとしても、10万都市より、30万都市のほうがはるかに効果的であると思う。この圏域にとって、買い物、病院、高校、大学など、住民の生活文化の向上に伊勢市の果たす役割は大きく、今後環境行政や、福祉行政などで自立していくためにはなおさらのことである。

役所の距離的にいくらかの違いがあるものの、近隣店と郊外店と置き換えて考えれば、今の時代距離感は大きな問題ではなく将来にわたって安定した姿こそが望ましい。阿児へ出向くのも、伊勢へ行くのも20分の差でしかないし、本庁に出かける機会はそんなにないはずである。生活に必要な大抵のことは浜島町役場で間に合う。

一時的に環英虞湾市を成立させても、ごく近い時期に更なる大同団結が求められるのは明白であるから、この際その労力を結集させ、伊勢志摩市への道を第1義としたうえで現実路線を歩んでもらいたい。

現状を追認した上での二次合併を想定する案も良く聞かれるが、その案の正当性を担保するなら磯部町の主張する志摩郡5町以上の合併を、今目指しておかなければ論旨に矛盾が生じることになる。なぜなら、伊勢合併まで行き着くには三次以上の合併を必要としており、将来に渡って更なる無駄が生じてくる。

さらに、磯部町の抜けた志摩市などは一時的な補助金目当ての名目合併に過ぎず、小成に満足し大成を逃す策であり、さらに不要なものの投資にのみ消費されることになりかねない。

当町としては磯部町の信義を失わないことがもっとも重要であり、大同合併のキーを握っているのが我が浜島町と言える。志摩町が最後まで参加を表明しなかったその裏側は五町合併にこだわり、磯部町への説得と方向転換を待ち望んでいたと私は見るが、それを我が町がやらなければならなかった。

磯部町に荷担するスタンスを浜島町が持ち、我が町側より磯部町に手を差し伸べてこそ相手も聞く耳を持ってもらえるのではないかとの思いが私には強い。磯部町の立場を考えるなら、向うからの話しを待っていては進展しない。今からでも遅くはなく、浜島町と磯部町が信頼の上に結びつきを強め、合い携えてこれにぶつかってこそ小さな明かりが見えてくるように思えてならない。

もともと合併の実とは市町村の自立にあることを思えば、私は4町のみの合併では意味がないし、磯部町への信義を欠いたままで実現できたとしても、長い目で見たときに益するものより失う事の方が多いように思える。

また、4町の中で最大の阿児町長選挙を1ケ月後に控えた今、法定協議会の設立を急ぐことは何ら益するものでなく、我が町は磯部町への働きかけに徹して欲しい。

信義や志しを高く持つことが次世代への財産となると思いたい。

士当先天下之憂而憂  後天下之楽而楽也

志摩地域合併協議会

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