一言居士の過去録・磯体験施設関連 

 

 

陸上磯計画をきる       陸上磯計画の問題点  

陸上磯財政計画        イメージ画(平面計画       イメージ画(立面計画

2003.12.11更新     

年の瀬を迎え、注目の磯体験施設「海ほうずき」、来春のグランドオープンを目指して、付属施設の骨組みが姿を表した。体験学習棟3棟がその内容で、故郷料理体験・水産加工体験・調理学習体験が出来ることになる。

ここでは、町内宿泊者の朝食の提供、てこね寿司や炊き込み御飯などの体験、水産加工体験としては、カツオの薦巻や干物・海藻加工等が考えられている。

私の経験から推察すれば、食堂とその調理場、そして売店の機能が集約されることになるのだろう。

 

そしてこのほど管理条例(案)や収支計画の見直し(案)が示されたようだ。

当初示された1800万円の赤字収支計画書は、コンサル会社の独自算定であり、今回精査して見直した結果、何とか収支バランスの取れる見通しが立ったようである。

ここで考えられるのが、議会のチェック機能である。

今回の収支計画が当初に示されておれば、その真偽のことはさておき、議会において事業承認することはやぶさかでなかったが、当初に赤字経営を容認したことが悔やまれる。

社会資本の整備として反論を封じてきた節も有るが、もともと社会資本とは、人々の生活の営みや、産業が生産を行うのに必要不可欠な基盤施設であり、あくまでもこれらの下支えとなる道路や水道、公園などを指すものです。

当然農林漁業施設も範疇に入りますが、あくまでも農地造成や漁場造成などの基盤整備のみを社会資本と呼び、サービスの提供を含めたこの種施設はその範疇には含めないのが常識のはずでした。

そして、社会資本は公共事業として整備されますが、公共事業がすべて社会資本と呼ばれる物でもありません。この事業が社会資本整備と言う名のもとに容認されたとしたら噴飯ものだ。

 

また、議会が当局の説明によって、黒字転換を見通して当初計画の赤字を承認してきたのなら、その先見性に敬意を表するべきなのだろう。しかし私には、ますますもって議会の権威について疑問が深まるばかりである。

なぜなら、管理条例と結びつけて見た時、私の目から見れば赤字の幅は一向に減らず、心配した通りのお役所商法そのもののようだ。

もし、赤字には我慢をしたとしても、利用もままならず閑古鳥の泣く姿が目に浮かび、目的達成には程遠い結末が見えてくる。

加えて商店街へも目を移しているようだが、情緒的な説明に終始し、論理的説明がいつもなされずに絵空事の感を抱くのみである。

住民の意欲や協力を必要とされる町並み整備こそ、ソフト有っての整備と言う初歩的な手法がまず無視されている。

計画の破綻は火を見るより明らかであり、税金の無駄使いがまたも拡大する。

 

し尿の垂れ流しの始末を鳥羽市に任せて、税金の垂れ流しに奔走する姿を見ていると、合併の大義はおろか新市建設の想いが程遠く感じられる年末となった。やんぬるかな。

 

2003.9.11更新
町の威信を掛けてプレオープンした陸磯体験施設、小さな子供達の遊び場としては、それなりの賑わいを呈していたが、今後の運営に数々の問題点を残して一夏を終えた。
今、行政体としての浜島町が無くなろうとしている時に、運営維持に町の身の丈を超えた、いわく社会資本の整備をしてしまった以上、何とかこれを意義あるものにして行く必要があるだろう。
補助金等の適正化を定める法律に従えば、少なくとも7年間は廃止できない。
計画段階では、わかりづらかった施設の全容も、その中核施設が完成したことによって、町民の間にもその問題点がわかりかけてきた模様である。
この際、賛否の意見を超えて、生かせるところを生かすべく前向きな活用の方策に取り組んでいくことが、今後の運営にとって大切なことなのだろう。少なくとも、新市のお荷物資産となるようでは、今後の浜島町における本来の社会資本の整備と発展に水を注す。

この定例会において、陸磯体験事業について責任者を問う一般質問が出たそうであるが、それに対して、始める前に失敗を想定していないと言う答えが返ったそうである。
議会と言う場においては、今、それ以上言及することははばかれるが、大多数の町民が疑問視する事業において、その終末処理のあり方は想定しておいて貰いたい。いかに商店街事業との相乗効果を歌い上げても、水産施設や児童の教育施設に集客効果は認められず、駄目なものは駄目である。
次々に目標設定が取り替えられて、正に蟻地獄に迷い込んだ様になることが断言できる。
ことここまで進んでしまった以上、それなりの成果を望むと共に抜き差しならぬ方向に進むことだけは御免こうむりたい。
最悪の場合を考えて着手し、失敗を想定できるのがプロである。

 

2003210更新
現在、「冒険・発見・安全・感動体験」をキーワードとするこの施設のネーミング募集もされているが、大赤字の経営に対して議会の一部には強硬に反対する勢力もいた。しかし民主主義のルールにのっとり、多数決で議会意思は実行と決定された。
すでに計画段階から赤字経営であることは示されている中で、議会が実施を承認したということは、町民の意思もその通りと見ざるを得ない。
新規事業であるこの施設、画期的なことを意図すればするだけ、町民への説明責任が執行部にはあるはずである。町に、どんなものが作られるか知らせずして町民の意思までも、決定してしまったことへの責任は大きい。
「長いものにまかれろ」、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と言う事では、自ら議会の存在理由を失わせるものになるだろう。
ネーミング募集をする前に、どんな施設を作るのかを、もっと町民に周知させた上で住民の意思を議会に反映させる努力が欲しかった。

 

2002.12.11更新

 何かとあわただしい師走、とうとう磯体験施設整備事業が発注された。いろいろと議会の中で論議されてきたことが議会広報から垣間見られた。あれだけ議会で問題視されながら、一般住民に対しては事業計画の全貌がついに知らされることなく着工の運びとなってしまったのが解せない。唯一、議会広報で磯体験施設画なるものの存在を町民が知る事となったが、その具体的内容については知る人がいないと言ってよい。

それが故に、当局にとっていわれなき反対論が起きてくるのであろうし、町民の心配の種を増幅させてしまったことが残念である。それが正当な理論と計画を持つならば、何ら臆するものでなく挑戦的に事業展開をすることも起きてこようが、町民への説明をおろそかにしていては支持してもらえない。

どんな事業でも反対意見は出てくるわけであるから、その一部の反対論に対しては、町民に具体的な計画を示すことによってその正当性を判断してもらえば済んだことであり、それこそが町長の標榜する「町民の町民による町民の政治」であったのだが。
ここに来て再度考えてみたい。本事業の根幹である水産業振興のための基盤となりえるのだろうか。漁業者の期待はいかばかりであろうか。関係者の中から一向に期待の声が聞かれないのはなぜなのだろうか。

 漁業は、生産・加工・流通と言うのが重要な分野であり、付随して消費の拡大や漁村環境の整備へと発展していくものであり、最も重要な生産を軽視した施設で、浜島町の地域特性を発揮出来ると考えることに無理がある。

この事業の発想の元は、観光振興が水産振興につながると言う考え方であろうが、私が求めたいのは水産振興のための観光振興である。あくまでも観光振興は街づくりの戦術であり、目的ではなく手段である。しかし、本町の立地条件から言って、このまま行っても、合併が成就してもこの観光戦略なくして水産振興も街づくりも成り立たない。
征論でも述べているように観光街づくりと、街づくり観光との間には大きな隔たりがあることを再度訴える。観光客を呼ぶための街づくりではなく、住民の為の街づくりが結果的に観光客を呼ぶことになる街づくりが望ましい。このような意味あいから、今回の事業展開にはもっともっと町民に情報を提供し、共に考え共に進める必要があったように思えてならない。自己決定・自己責任の地方分権社会を形成していく中で、賛否の分かれる事業への取り組みはもっと真摯なものであってしかるべきである。
特に、この磯体験事業は、相乗効果・波及効果に期待する向きの大きな事業であるが故に多くの町民の賛同者が必要である。民間の参画者がいなければ、行政がずるずると事業枠を広げ傷口を大きくしていくことになる。しかも、その拡大理由はこの施設の有効利用を図るため、相乗効果を生み出すためと言うのが私の目にははっきりと見える。
合併も目前の今、5年経ってだめなら直ちに閉鎖することを確認しておくことが現在残された道であろう。

 

2002.9.20更新
9月議会でも磯体験施設の再考を促す質問が出されていると聞く。すでにこの施設が経営できなくなるのは時間の問題で、その期間もそんなに長いものでないことは、少しでも町財政事情を知るものにとっては考えるまでもない。
全国的に、この種施設が続々廃業に追い込まれていることがそれを証明しており、浜島町だけがその例外でないことは誰の目にも明らかである。またその廃業が引き起こす負の波及効果に至っては、町そのものに大きなダメージを与え兼ねない。当初の目的であった町の財政を豊かにすることはおろか、町の観光にも寄与するとは思えない計画が、子供たちへの自然体験施設として陽の目を見ようとしていることに対して、誰もが沈黙していることに驚きを隠せない。
この浜島町の子供のために人工磯が必要とはどう考えても、どれだけ考えても私には思い浮かばない。子供のためには豊かな自然を活用する道を選択したほうがよいし、現にもっと必要なものが目の前に生れてきている。
交流施設としての役割も中途半端なものでは果たし得ない。市町村合併と共に、浜島の発展の足を引っ張るお荷物施設にならないことを願うのみである。
これらの事業化について、町としての団体意思決定には町長と議会の双方が関わるわけであり、その一方が欠けても成立しないのが現在の地方自治の精神である。町長は住民の代表たる議会の議決を得た上で各種事業が執行出来るものであり、住民に対する責任は町長と議会の双方が負う仕組みになっている。
この場合、議員一人一人の意志ではなく議会としての意思決定であるから、多数決の原理が働くことは言うまでもないが、一方の独断専行を牽制するのが地方議会と長の関係の役割である。それらから言えば議員の多数が、この磯施設に何らかの可能性と期待を抱いていると考えざるを得ないことになるが、今まで私の知る限り、この内容でこの計画に賛成する議員が多数を占めるということが信じられないだけに、退職後の2年間の空白に何があったのか知りたい気分だ。
個々の議員は、町長の所信を問うだけでなく議会としての意思決定にもっと意を砕く必要がある。いくら議員個人の持論を町長に開陳しても意見は平行線をたどるだけであろうし、破綻後に長の責任を追及しても議会の責任は免れない。それよりも、個々の議員が議会自らの意思決定に責任を持たなければ、議会は形骸化し翼賛議会とのそしりを招くことになる。
住民の代弁者としての議会は、町長と対等な権限と責任を持っていることを一人一人の議員は忘れないで欲しい。

2002.7.17更新

あれほど日本中を興奮の渦に巻き込んだサッカーのワールドカップが過ぎてまだ半月、もうその余韻すら残っていないのは日本人の移り気の速さなのか、それともサッカーが一時的なもので、まだまだ日本には定着していない事を表しているのだろうか。終わって、興奮さめて噴出してきたのは、このために作った全国あちこちの競技場の運営問題である。北海道の施設を除きすべて大赤字のようである。もともとこのことは当初から想定してはいた事ではあるが、事前段階では声を大にして叫ぶ事を憚ってきた事と、マスコミも口をつぐんできた事であるが、ここへ来て話題作りにそれを取り上げ始めた。
宮城県の競技場は、年間2億8千万円の運営経費がいるそうだが、それに対する収入は3千万円程度にしかならないらしい。他の競技場も似たり寄ったりだから、日本中で莫大な無駄がこれから続く事になる。しかしこれは県営施設であるから、宮城県の場合、人口230万人として割ると一人当たりは108円程度の負担となる。
それに比べ、我が町がやろうとする磯体験施設、年間3、000万円の赤字と仮定すれば、町民一人当たり5、000円の負担をしなければならなくなる。
4人家族ならば2万円の税金が無駄に使われる事になる。これからしても、磯体験施設が町民の大きな負担になる事は明白である。毎年一軒当たり2万円使わせてもらえるなら素晴らしい教育環境の整備や、漁業施設が出来ます。
しかも、競技場は県民の保健健康やスポーツの振興施設として、収益性を度外視して建てられたものであり福祉向上に意義を見出す事が出来る。それすらも今後の運営に窮して来るとなると、さっそく取り壊しまでもが選択肢の一つに取り上げられるのが世間の常識なのです。
磯体験施設は補助事業である限り、少なくとも7年間は運営しなければならない。漁業施設とも教育施設ともなり得ず、いたずらに無駄の上に無駄を重ねる施設として、守り抜いていかねばならなくなる事が私にはやりきれない。
一石5鳥の効果を謳って石を投げても、全部かすめるだけで一羽も得られないことは、その筋の関係者なら指摘できる筈である。漁業や、教育のための場とするには、他に幾らでも方策はあり、磯体験施設でもっていくらかの効果をあげつらうのはまだまだ議論が少ないと言える。観光施設も必要な事ではあるが、少なくとも採算性も重視して取り組まないと町を破綻させる事になる。
子孫に大きな付けを残すことに危機感を感じない人達に、危機管理を論じてもらいたくないし、無関心を装う町民気質にも問題の芽を感じてしまった眠れない台風の夜であった。
市町村経営では、後顧の憂いを残さないで欲しいものだ。

 

2002.6.6更新
議会広報を見る毎に心配の種が広がる。あいも変わらず磯体験施設、何度も説明に出てくるのはやらなければならないと言う事のみ。その理由は活性化、そして水産業振興のための漁港漁村活性化対策事業と町並み作りとの連携と言うことに尽きる。理論付けや、効果積算はおろか事業内容についてさえも、一向に公表されてこないのは何故なのか理解に苦しむ。色々反響のある事業であれば、もっと町民にその必要性を訴えても良い筈である。しかも、民間活力の活用施設ならなおさら町民にアピールしなければならない。議会が賛成したから町民に知らせる必要はないと考えたわけではないとは思うのだが。
原価計算によって利用料を算定し、予定入場者から損益分岐点を算定する事など企業者なら常識。いったい何人の入場者を損益分岐点においているのか、そして又、その確保の可能性をどの程度と見込んでいるのか明らかにされていない。本当の実業家は儲からない事はやらない筈であるから、何年先に収益の発生を予定しているか知りたいものだ。

地方財政法では、不特定多数の客を呼ぶ観光施設は公営企業とし、その経費は施設の収入を持って当てなければならないと規定している。すなわち税金の投入を禁止し、財政の健全化を図ろうとするものです。かろうじて関連施設と呼べても、漁業施設でもなければ、教育施設でもなく、独立採算を維持しなければいけないこの施設に、採算性を見出せる町民が何人いるのか問うて見たい気がする。
浜島小学校建設調査会も立ちあげた今、限られた財源を有効活用する道が真剣に討議されなければならない。もともと町営事業で自主財源を得るために考えられた事業である事は信じて疑わないが、これでは自主財源を求めるどころか、赤字たれ流し施設として、浜島の名物になる事だけはごめん被りたい。

 

2002,5,22更新

違法でなければ何でも出来ると言うのが風潮であるようである。将来に対する責任は誰が負うのであろうか。自分達が将来にどのような責任を持っているのか認識もせず、今の世代のやりたい事だけをやるのは大間違い。

磯体験施設にそれが言える。赤字施設は新たな赤字を生み、雪だるま的に23倍になるのは目に見える。陸上磯事業が、磯体験施設に名前を変えても本質は変わらず、観光施設としての独立採算性の問題は解決していない。
儲かる事をするのが企業であり、市町村経営も習わねばならないが、それには当然リスクもありえることは否めない。しかし、少なくとも計画上では利益を計上するのが経営者の努めで、それが将来利益になる事はやむを得ない。これらを示さずして、議会の同意が得られた事に大きな驚きを覚える。

 

2002.4.15更新

>>>>>経営不振の3セク、5割強に達する。2期連続赤字が25%を占める。<<<
これは帝国データーバンクが、全国1700余りの第3セクターを調査した結果をインターネット上に発表しており、その時の見出しです。これによると、昨年だけでも第三セクターの倒産が22件発生し、中でも地方のレジャー・リゾート関連が目だって多いと言うことです。
また赤字体質から抜け出せない3セクはまだまだ数多く、地方自治体の財政負担問題で、今後も倒産が高水準で推移していくだろうとの予測をしております。
企業経営の第3セクターにしてこのありさま。まして、町営事業のリゾートで失敗して苦しんでいる町村の惨状は、たびたびTV等で紹介されている通りです。町民の各種負担が増加し、道路の舗装は町職員が穴埋め、役所の冷暖房はおろか、学校の雨漏りさえ直せなくなって、先生がにわか大工で応急修理している様です。
これらの町村もみんな何とか町で、村で自主財源を求めよう、町を活性化しようとの思いで手がけたことには違い有りません。首長の動機は善良であったと思います。やる時にはこれがすべてとの思いで取り組み、町の為と信じていたことは確かな筈です。著名なコンサルが太鼓判を押し、きれいな青写真が示され、多くの人が町の起死回生を夢みた結果が、上記の調査結果に表れてきたとおりです。みんな自分の町が失敗する筈が無い。自分に限って間違う筈が無い。これで町を生き帰らそうとの純粋な思いが有ったであろうことには異論がありません。

磯場で潜ってみたい、磯で遊びたい、磯の小動物に触れたいとのニーズは有っても、人工磯でその要求を満たすことが出来るでしょうか。わたしの考えが狭小なのか、はたまたマイナス思考なのかを考えながら磯の小道を何度となく行き来してみた。目の前の磯を眺めながら、いくらイメージしても陸上磯に魅力を見出せない。眼下の磯を眺めれば眺めるだけ、貧弱な陸上磯の姿が見えてくる。一時の人寄せに使えたとしても、客が満足しなければ多くのの3セクと同じ運命をたどることになるだろう。

真の観光とは、鳴り物入りで客を呼ぶことではなく、来てくれた客を満足させて帰すことに有る。

 

2002,4,4更新

前回、町営事業としての陸上磯の危惧を表明した関係でか、入ってくる情報の一部始終は批判一色。その多くは、この施設にお客を呼べる魅力が果たしてあるのだろうか、という心配の声ばかりです。私も同感です。
もし自分の客をもてなすとしたら、海の見たい人には、大矢の浜か、塩鹿の浜、南張の浜に案内するであろう。恵比須が丘や、磯笛岬など最高。磯で遊びたい人なら、目戸の磯、矢取の磯、南張磯へ連れて行きたい。滑って怪我するのも自然とのふれあいであろう。満潮だったら、その場で干満を説明し、又の機会を楽しみにするだろう。時化の日だったら、自然と共に生活する海の民を実感してもらえれば良い。

賛成意見も無くもない。その多くは、やってみなけりゃ解らない。ジュースの1本、たばこ1個でも売れればえぇやないかというものです。
確かにやってみなけりゃ解らないことはたくさん有ります。しかし、当初から赤字が出ることを当局が表明しており、好転する見通しは示されておりません。この説明で議会が納得したことに私は信じられない思いで一杯です。
5億円かけて、毎年何千万と言う赤字を公共が負担する代償に、波及効果として町がどれだけ潤うのでしょうか。しかも、37000人の客が入ったとして。

興一利不若一害     生一事不若減一事   (耶律楚材)
これは蒙古でフビライを支えた名宰相の言葉です。
有利なことを一つ始めるより、有害なことを一つ排除するほうが大切である。
新しいことを一つ始めるより、余計なことを一つ減らすほうが重要であると言う意味です。

 

2002,3,27更新

外務省の一連の問題が耳目を集めていたら、我が浜島町でもとんでもない予算が議会を通過したと言う。住民の要望も、経営受け皿もなく、将来計画の見通しも立たない陸磯計画がそのものです。すべて町で運営し、赤字の尻拭きは町民がすることになる計画が、議会で賛成多数で決まるとは思っても見なかっただけに聞いて唖然としました。

確かに観光地としての町作り、お客さんに来てもらえる町作りも必要では有るが、根底には町民への配慮、環境への配慮が優先されなければならない。自然の磯に囲まれながら生活してきた町の人にとっても、訪れてくれる人達にも作られたミニチュアの磯にどれほどの魅力を感じてもらえるのか明白です。偽物が通用するような時代でありません。地域の持つ宝、磯場の環境整備を大切にすることがより重要です。

またこの計画が、孫子に大きなつけを残すことは、当局の示す財政計画でも明らかである。中長期的に見ても赤字は年を得る毎に膨らみ、そこに至る前に閉鎖という憂き目を見ることはほとんどの人が予想できる。
合併市にとってもお荷物施設は早晩切り捨てられ、浜島に巨大な廃屋が一軒増えることになる。
わたしは、明日を託す将来の孫子のためにも、この事態を黙って見逃すことは出来ない。公務員として生きてきた責任を果たすためにも、南極に冷蔵庫を立てるに等しいこの計画の中止を断固として求めていきたい。

孫子への配慮を忘れた町作りは、必ず孫子が代償を払うことになる。…これはオランダが干拓を通じて得たことわざだそうです。自分の痛みは我慢をしても、子供たちにまでその痛みにさらさせないのが、今を生きるものの努めです。