陸磯計画の問題点

 

1、採算性について。

  総じて経費見積もりが低い。

間接経費の償却費は別としても、資金需要を要する経営経費(事務所費等)も予定に参入されておらず、観光施設として将来にわたり独立採算にて経営を維持できる見通しはほとんど有りません。

   宣伝活動、イヴェント等必要不可欠の所要額が見込まれておりませんが、この種施設には欠かせないも ので、大きな支出が必要となります。

   売店経営、レストラン経営においても採算性は維持出来難いと思います。特にレストラン経営は、ある程度の収容規模を要するため、平均的な入り込み客を必要とし、休日に集中する利用形態では、利益確保が困難となり経営受け皿もないと思われます。この利益で施設全体の赤字を埋めることは、到底不可能と言えるでしょう。赤字の上乗せの公算の方が高いと思われます。

   磯遊びを楽しみたいお客さんは、当然、天然磯に行くことになり、観光客の増加は期待できません。計画では入り込み客の見込みが過大であり、しかも料金が類似施設、内容・規模から見て高い。よって収入見込みが過大に過ぎると考えられます。

         以上のことから、本事業は当町の財政を破綻させるおそれが大なるものと考えます

また、独立採算で運営できないと言う事は、その施設の収入を持って経費を賄わなければならないと言う地方財政法に抵触することになります。

*2、施設の魅力について。

200坪足らずのコンクリート磯では、恵比須が丘の磯や、目戸山の磯、南張磯に比べようが無く、本物志向の現代人にとって魅力の薄いものと言えます。よって、この施設への入り込み客は予想を大きく下回ると思われます。

児童の学習の場としては、眼前の磯を使って行うことが最も理に適っており、あえて魅力の無い作り物の磯で自然学習をするなどナンセンスなことです。学習の場としても、交流の場としても、こと磯に関しては自然の磯が一番魅力的です。

天候不順時や、冬季対策としての施設で水に触れる魅力を作り出す事は困難であり、見学施設にしてしまっては、さらに魅力を見出せないのは明白であると思います。

施設規模・内容からしてお客の満足度は低くならざるを得なく、評判が悪くなると加速的に客の減少を来たし、売店やレストランが一番最初に経営難となります。

*3、波及効果について。

観光施設としての魅力が乏しく入り込み客の増加は期待できません。よって波及効果も期待できないでしょう。客の期待を裏切るようなことになれば、観光の足を引っ張り兼ねません。波及効果は、計画の何倍もの人を呼び込めることにより、門前町が形成されることで町並み整備と結びつくのですが、この計画にはその要素はありません。せっかくの町並み整備も無駄になり兼ねません。赤字の施設から波及効果など期待できないのは自明の理です。

この施設は税金で運営されると言うことに重きを置きましょう。

*4、市町村合併で問題は解決しない。

もとより赤字の事業計画で事業をすることは、新しく生れる市に負担を転嫁させることになり、浜島町の歴史に汚点を残すことになります。また、将来浜島への投資には優先順序がつけられ、公共投資がこの施設の維持で削られることになることは必定です。合併後も大きな負担となり浜島町への社会資本整備が遅れることが予想されると言うことです。

私は子孫へ大きな負の資産を残すことには絶えられません。合併で町が消えても施設は残り、最終的には浜島で守って行かねばならなくなることが問題であります。

 

陸上磯財政計画        イメージ画(平面計画       イメージ画(立面計画

 

 

磯の遊歩道・東を望む

遊歩道より御座・黒森を望む

磯の遊歩道・西を望む

 

 

 

いろいろなご意見をお待ち申し上げます。

 

 

ある町の意見

観光まちづくり?/宇和島新聞2001/8/15掲載

 

 バブルの時代に、全国至る所で集客のための施設づくりが行われました。その中にはすでに閉鎖され廃墟となってしまった所もあります。第3セクターやバブルに酔う企業が専門外の観光施設運営に手を出したことがその原因でしょうか?「ハード先行・ソフト無し」という施設は当然のことながら、ハードにそのまちの歴史的なドラマ等を加えて、成功しそうなものであっても多くが失敗をしました。観光は引っ張り合いのゼロサムに近いものがあるのも確かですが、維持費に汲々とする全国の博物館、運営費もでない巨大なテーマパーク、それはバブル崩壊で失敗という結果に至ったのでしょうか?原因はともかく、まさしく、鳴り物入りの観光施設造営は、現在、負の遺産としてその地方の背中に負ぶさっているのは確かです。


 一方、ディズニーランドの拡大やユニバーサル・スタジオ・ジャパンの活況を見ると確かなノウハウと資金力があれば成功は約束されているようにも思えます。

しかし、百歩ゆずって観光で人を呼び、それをまちづくりと呼んだとしても、そんなテクニックで得られる盛況は、けして住み良いまちづくりにはつながらないと思っています。

例えば「四万十」、なぜ最後の清流として注目を集めているのでしょう。そこには、水と共に生きる生活があったからです。地域の人々が「都会的な便利・快適」を求めたり、環境よりも経済優先の「開発という名の環境破壊の手」を入れなかったからであります。特異なほどに自然環境が残された地域、希なほどに環境汚染の進んでいない地域、食べ物も飲み水も空気も全てが安全な地域、そんな地域を選び、訪れ・住み替えていく時代がすぐそこへ来ていると思います。

今後は、住みよい町の環境が、人が集える大きな財産となるはずです。どうも、今の時代そんな環境保全も含めて、新しい「観光まちづくり」と呼んでいるようです。

 

ある町の観光協会長の嘆き節(抜粋)

 

「来てくれ、来てくれ」と言っても、来てもらって満足いただけるのか!?

それなりにお金も落としていただけるのか!?

リピーターが期待できるのか!?

観光が産業として成り立てるのか!?
「やっぱり儲からないとねぇ〜。」公共の施設、温泉などは、最低でも収支がプラマイゼロ。そうでないとやるべきではないと思っています。

幸いな事に!?当町はバブルの頃に大型観光施設つまり赤字の垂れ流し施設が出来なかったことは良かったがしかし、何かが足りない。観光立町と呼べるまでにならなくとも、何かが