大矢郷、大矢浜 

 古城を境にその東、英虞湾を抱える位置にあるのが里区と呼ばれ、外洋側の集落が大矢区と呼ばれてきましたが、今はもう人家が密集してその区域も無くなりました。

 一説によれば、御座から救援の矢文を放った大矢高円が、その後浜島に移り住んだために、その一帯が大矢郷と名付けられたとも言われております。

 その前の浜は、海岸環境整備事業で、遠く四万十川や壱岐対馬からはるばる運ばれた白砂によって養浜工事が施行され、昔を偲ぶ白砂青松の浜の回復を目指してきました。

 その為の砂止め堤防なども造られ、浜の様相が近代的な多目的な浜州に一変し、海浜公園、イベント広場、海水浴場などとして広く利用されております。

海水浴

ハーレー大会

はさ場 

浜全景

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