聖書の中にはたくさんの恵みがあります。このページでは、聖書に書かれた御言葉を紹介しています。


2016年6月5日
  主に望みをおく人は新たな力を得
鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく、歩いても疲れない

   イザヤ書 40:31
 

鷲は下から吹いて来る風を待って、その風を受けて空に舞い上がります。私は自分を押し上げてくれる風、それは神様の力だと思っています。どんな時も神様が私と共にいて下さる平安を抱いて生きることができることは、とても幸いなことだと感じます。

 

2015年4月12日
  だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。
その日の苦労は、その日だけで十分である。

   マタイによる福音書 7:34
 

空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉にも納めない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養って下さる。あなたがたは鳥よりも価値あるものではないか。(7:26)
あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命を延ばすことができようか。(27)
今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の花でさえ、神はこのように装ってくださる。(30)

私たちは何かと悩んでしまいます。けれども、聖書は「思い悩むな」と教えています。考えてみると、悩んだからといって物事が解決するか・・・というとそうでないことが多いように感じます。あれこれ思い悩むよりも、すべてを神様にお任せする生き方は気持ちがとても楽になります。
私は今、心掛けていることがあります。それは「その日1日を区切りで生きる」ということです。その日に必要なものが与えられればそれで十分だと思います。

 

2014年7月20日
  いつも喜んでいなさい。 
絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたに望んでおられることです。

   テサロニケ信徒への手紙一 5:16〜18
 

いつも喜ぶ・・・どんなことにも感謝する・・・とても難しいことですね。
例えば、命に関わるような病気に罹ってしまったとしたら、どうして自分だけがこんな病気になるのかと思う人がほとんどだと思います。
でも、「病気は神様から与えられたもの」と考えたらどうでしょうか? 病気を与えられたことにも意味があると思えた瞬間から、考え方が変わるのではないかと思います。
病気を与えられたからこそ見えてくるものがある、病気を与えられなければわからないことがあるのです。病気を与えられたことにも感謝することができれば、前向きな考え方で人生を歩むことができると思います。
病気を与えられた友人が話してくれました。 
「病気の自分は周りの人たちに迷惑をかけていると思っていた。でも、病気でもいつも明るく笑顔で頑張っているあなたに勇気をもらっています、と言われた時、病気の自分にもできることを神様が与えてくださっているのだと思ったら、病気を与えられたことも、神様からの贈り物なのだと思えるようになった・・・」
私も友人のように、どんなことも神様から与えられたこととして、感謝して受け入れたいと思いました。

 

2014年6月22日 
    疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 
   マタイによる福音書 11:28
 

よく知られた聖書の言葉で、クリスチャンでなくてもご存じの方も多いと思います。
私が初めて鵜方教会の礼拝に行った時、入り口にこの御言葉が書いてありました。そして、神様はどんな人でも受け入れて下さることを教えてもらった御言葉でもあります。
あの時、神様に休ませていただき、今の私が生かされている・・・そう思える大切な御言葉です。